水戸グル−プの難民活動!
ちょっとしたことがきっかけで、実は ・・日本に逃れてきた「難民と思われる方々」へのサポ−トを始めてしまいました。
■キュ−バ人Gさんの仮放免に関する嘆願をおこないました!!
(文例)
請願書
法務大臣 殿
Gさんはキュ−バから1994年に来日しました。
Gさんは政治活動のため仕事を辞めさせられ、身辺に不安を覚え、
キュ−バを離れ来日しました。
そして、キュ−バ政府は帰国を拒否しているためオ−バ−ステイに
なってしまいました。2003年11月に品川入管へ自主出頭以来、
収容され現在は牛久入管に収容されています。
難民申請をしており2004年7月から審査を受けております。
Gさんは、礼儀正しい女性です。すでに日本社会に適応し、生活の基盤
は日本社会にあります。
なにとぞ、貴省におかれましては、公正なご判断のもとにGさんに対して
仮放免を許可され、日本に在留を続けることを許可していただきたく、
心よりお願い申し上げます。
敬具
■A.Fさん達の仮放免に関する嘆願をおこないました
(文例)
法務大臣 殿
法務省東日本入国管理センタ− 所長 殿
貴省におかれましては、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
さて、私は、現在 日本国政府の難民認定を申請中のイラン人A.Fさん、J.Hさん、M.Sさん、及びビルマ人Aさんについて、仮放免していただくよう強くお願いするものです。彼らは入国管理法違反により逮捕されて以来、長期にわたって牛久収容所(東日本入国管理センタ−)に勾留、収容され続けております。イランの方たちは、反政府組織ムジャヒデン・ハルクに係わった疑いで迫害を受け、日本へ逃れてきております。また、ビルマ(現ミャンマ−)のアウン・ゾウウィンさんも軍政の弾圧を批判し、牛久でも2003年1月までハンガ−ストライキをしておりました。
彼らは退去強制させられた場合、迫害、逮捕、処刑等のおそれは十分にあり、難民条約・難民議定書に示されている難民の定義に当てはまると考えます。
なにとぞ、貴省におかれましては、公正なご判断の下に、彼らに対して仮放免を許可され、逃亡のおそれはまったくない彼らがやっと住み慣れた日本に、これからも在留できますよう、心よりお願い申し上げます。
敬具
年 月 日
氏名
連絡先等
■ 12月14日につくば市で開かれた「牛久入管収容所問題を考える会」の市民集会に出席しました。
アムネスティとしてG.Hさんの12/10人権ディをめぐる一斉アピ−ル活動と、当グル−プ活動をかいつまんで参加者(約60名)にアピ−ル。(Hさんは幸い12/16に仮放免されたのは何よりです。)
考える会からは2002年度活動報告があり、政府が難民を積極的に受け入れ、生活を保証するようにと、収容中止、長期収容による人権侵害反対、難民認定制度の見直しは改悪の懸念があること、東京都品川の新庁舎建設や牛久入管施設の増設に反対する意見が出されました。
また難民申請しながら収容されていた外国人たちからアピ−ルがあり、
約一年間収容されたスリランカ人男性は仮放免の更新手続きでいきなり収容され、残された妻と子供のことを訴えても、入管側は誠実に対応してくれなかったと訴え、
イラン人男性は「日本人が入ったら一週間も我慢できない」と劣悪な処遇を指摘、
クルド人男性は社会的に問題を起こさず生活してきたのに、長期収容されることで、住まい、仕事などの生活基盤を失ってしまうと訴え、「難民政策では日本は世界一ひどい国だ」と訴え、
パキスタン人男性は仮放免後も生活が苦しい、せめて特別在留を認めてほしいと、
参加者に支援を求められました。
−朗報です!
日本国政府の退去強制令書の執行停止行政訴訟中のパキスタン人Mさんは、約2年にわたる東日本入国管理センタ−(牛久)での収容から仮釈放されました。彼は宗教上の理由で迫害を受けるため本国には帰れないとのことで、わたしたちもなんとかしてあげたいと思いサポ−トしています。裁判は続きますので、ご家族と日本にこれからも居られるよう、関係機関にも嘆願をしていきたいと思います。
嘆願の文例はここです。協力できる方はどうぞよろしくお願いします。 
■アムネスティ・グル−プの「難民支援活動」水戸グル−プ
アムネスティが日本国内の難民についてできる活動は、難民ガイド
ラインに規定されている。しかし、特にグル−プ活動として見た場合、「難民
活動」はこれからの課題といえる段階ではなかろうか。そのような状況下、私
たち水戸グル−プはパキスタンから来たMさんの事件に直面することになった。
彼は、イスラム教の一分派でありながらパキスタンでは「非イスラム」と宣言
され
たアフマディ派を信仰している。彼らは様ざまな職業から締め出され、迫害を
受け国外に多数が亡命を求め、日本にも数百人が逃れてきている。Mさんは
そのうちの一人であり、以前難民申請が不許可となり強制送還され、1993年の
アムネスティ・レポ−トに載ったこともある。その後、家族を連れて再入国をこころ
み、入管法違反のまま超過滞在し、2000年4月に当局の摘発で十条の施設に収監
された。当時、私たちはパキスタン・スィンド州アフマディ派の良心の囚人を担当して
いた。そしてMさんの事件を、日本とパキスタンで同時進行のアクション・ファイル
(注1)ととらえ、また日本国内の「入管行政問題」を考えるよい機会とし、釈放を求め
る活動に取り組むこととなった。
彼の裁判に際しては、アムネスティの資料を弁護士に提供することで協力し、そ
の後2000年11月に牛久の東日本入国管理センタ−へ移送されたのにともない、
仮放免を求める嘆願のハガキを書くことで支援を続けた。収容所内の彼への定期
的なサポ−トは、「牛久入管収容所問題を考える会」の方による協力が大きかった。
その後、進展はないままに2001年末には収容所内で7番目の長期収容者となっ
た。処遇状態にも問題があり、歯痛・不眠・精神的不安などが見られるようにな
った。そのため他のアムネスティ・グル−プにも働きかけ、嘆願の署名集めを推
進し当局へ提出した。それに加え、UNHCR(難民高等弁務官事務所)からは
現地調査の約束を得た。
こうしてたくさんの人たちの努力がようやく実り、2002年5月にMさん仮放免のうれし
いニュ−スが飛び込んできた。しかし仮放免はあくまで仮放免である。特別在留権を
求める裁判に注目し、日本でも彼らのような境遇の人たちを受け入れ生きていける
社会を目指すために、今後も支援していきたいと考える。
注1:アクション・ファイル
グループが取り組む、人権侵害の様ざまな事例、テーマや、活動方法が掲載さ
れているファイル。ロンドンの国際事務局から日本支部を通じて全国のグループ
に配布され、担当したグループはある一定期間、このファイルにしたがって責任
をもって活動する。