天安門の悲劇はまだ終わっていない

1989年の民主化運動弾圧[=天安門事件]が北京で起こってから16周年の前夜にあたる本日、アムネスティは、[あの年の]6月3日から4日にかけて命を失った人たちや、あの悲劇的事件にまきこまれて今なお獄中にいる人たち、そして、その後1989年の事件の見直しを求めて投獄された人たちに、公正[な評価と待遇]を与えるよう呼びかけるものである。

「天安門は、中国の公民にとって、今日もなお、なまなましいものであり、中国市民の公正さを求める声は、やむことがない」。アムネスティは述べた。

「我々は、中国政府に対し、丸腰の学生やデモ参加者が殺害されたことを、厳格に調査するよう、くりかえし求める。[この事件に]責任のある者たちは、裁判にかけられるべきである。我々は、また[中国]政府に対し、天安門事件との関係で今なお獄中にある人たちや、公正な裁判を受けていない全ての人たちを釈放するよう要求する」。

天安門事件について、ネットその他で意見を発表したり、情報を共有したりした人たちを逮捕・迫害することを、政府はやめなければならない。

   背 景
中国の指導層は、1989年に丸腰の市民を鎮圧した事件を外国が憂慮していることについて、「時代遅れ」だとする立場を取っている。

しかしながら、不幸なことに、1989年に死んだり失踪したりした人たちの情報をインターネット上に載せようとしたり、1989年の出来事について市民たちの間でコミュニケーションを取ろうとしている人たちは、ひきつづき、身柄を拘束されたり[有罪]判決を受けたりしている。

このような活動を行なったため、数多くの中国市民が、拘束、または投獄されている。以下、事例をあげる。
師涛[しとう]。作家、ジャーナリスト。政府がジャーナリストたちに対し、天安門事件15周年の際に、社会に不安を与えてはならないと警告した文書を、海外のウエブサイトに送ったため、2005年4月15日、懲役10年の判決を受けた。「非合法に国家機密を外国に漏洩した」という罪状だった。
 元労働組合活動家、孔佑平[こうゆうへい]、は、インターネット上で、1989年民主化運動の再評価を求める記事や詩を発表したため、2004年9月、懲役15年の判決を受けた。
 黄キ[こうき。「き」は「王」の右に「奇」という字]は、インターネット上で、天安門や中国政府による人権侵害を討論しようとしたため、2003年に懲役5年の判決を受けた。

(息子を1989年6月4日に殺された丁子霖[ていしりん][女史]が立ちあげた)「天安門の母たち」は、当局による身柄拘束などの嫌がらせにも屈せず、1989年の事件の再調査、愛する者を殺された126人の家族に対する公正な評価を、あきらめることなく、訴えつづけている。

加えるに、[天安門事件で失脚した]中国共産党元総書記、趙紫陽[ちょうしよう]が死んだ時、中国市民の感情が流出して、何百人もの人が会葬し、趙に最後の敬意を表したことは、天安門事件が、中国の人々の心に今なお焼きついていることを示している。

国際与論が1989年の事件とそれに関連する現在の中国の人権状況を重視しているという事実は、今[2005]年5月、EUが中国への武器禁輸を解除しなかったことに現れている。EUの首脳たちは、特に、天安門がらみで今なお獄中にある人たちを釈放することや、裁判なしで人を収監する「労働教養」[労働矯正]制度など他の人権状況を改善することの必要性を指摘した。

中国首相、温家宝自身、2005年4月12日、ニューデリーで、「歴史を尊重し、歴史に責任をとり、アジアやひろく世界の人々の信任を得た国のみが、国際社会でより大きな責務を果たせる」と語っている。
[この]みずからの提言にしたがって、過去と現在の不公正さをただした時、中国当局は、はじめて自国市民の信頼と国際社会の尊敬を得ることができるのである。

(アムネスティ公開文書ASA 17/018/2005より抄訳)
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アムネスティ日本「中国調整グループ」作成。
『情報定期便』2005(平成17)年7月号