ナイジェリアからの手紙 水戸グル−プ 阿部
「人権侵害を受けている人たちのために、世界中に向けて長年さまざまなハガキを出しているけれど、いまだに私あての反応を得たことはない。そして、奇跡的に返事をもらえた時には、うちの裏山から花火でも打ち上げようと思っています。」と書かれたのはアムネスティのイ−デス・ハンソンさん。(希望色のエアメイルより。) 幸いにも、私はアムネスティに入会して6年目に良心の囚人から手紙をもらうことができた。かなり焦り、そのため花火はあがらなかったが、辞書を頼りに翻訳しグル−プのメンバ−に回覧した。囚人(ナイジェリアのクンレ・アジバデ氏)との交信は2年ほど続いたが、98年7月にビ−ル片手にほろ酔い気分で私たちは氏の釈放を祝った。貴重な体験であったが、印象に残ったことをいくつか書いてみたい。
○お手紙鑑定団
当時のナイジェリアは軍事独裁政権が政治家、市民たちを徹底的に弾圧し、一種の鎖国状態にあった。アムネスティ・インタ−ナショナルでは、世界中の140のグル−プが被害者の支援にあたっていた。しかし、政府からの反応は全く期待できず、囚人の家族と連絡が取れることも稀だ。囚人の名前で返事が飛び込んできたケ−スがあったが、アムネスティ国際事務局では金銭などのおねだりをする偽物の手紙と判定していた。刑務所内でコンサ−トを開くので、グランドピアノを買う金を送ってくれと言う手紙もあった(!)そうだ。感嘆詞(!)付きで紹介されていた。それでは、私たちに届いた手紙が本物なのか気になるところだ。アジバデ氏はジャ−ナリストであることが判断を容易にした。手紙は、窮状を訴える激しさの中にも文章家らしい繊細さと格調が感じられる。英語に強くない私でも本物だと確信できた。国際事務局の担当者も、間違いありません、非常に珍しいケ−スです、と保証してくれた。結局、氏が釈放されるまでに14通の手紙が来ることになる。刑務所内の規律の乱れや地下工作があって、外部に出ることができた手紙と思われた。氏は、この点について真相を明かしてくれなかったが、機会があればいつか聞いてみたいものである。
○アムネスティがサッカ−でも活躍!?
国際事務局では西アフリカチ−ムがとりまとめ役になっている。地理的に近く、歴史的にも親近感があるのか、欧米のグル−プが張りきっていた。グル−プ通信では、「イタリアの或るグル−プはナイジェリア政府に170通の手紙を書きました。ベルギ−の或るグル−プも100通書きましたが、このうち30通はベルギ−内のナイジェリア大使館へ一ヶ月毎日一通づつ出したものです。英国の或るグル−プも100通以上書きました。」と煽ってくる。100通がノルマのように受け取れるが、私たちには手が届かない数字である。エジンバラ(英国)で開催された英連邦首脳会議では、処刑された環境活動家ケン・サロウィワ氏の肖像が会議場近くの教会の壁に描かれCNNなどでも報道された。これは英国グル−プの力作である。次いで98年にサッカ−のワ−ルドカップ開幕(フランス)に合わせて、ナイジェリアの人権改善のキャンペ−ンが行われる。人権は今やスポ−ツに介入? ここまでやるかアムネスティ。優勝が有力といわれたナイジェリア代表チ−ムは、フランス入りする前に親善試合でオランダなどを転戦。競技場周辺はアムネスティの抗議行動で騒然(であったらしい)。オランダのグル−プがんばれ。ナイジェリアチ−ムのコ−チからは、たまりかねて「選手が試合に集中できない!」との抗議。お陰で大敗。これで気力が殺がれたのか肝心のフランス大会も、決勝リ−グ入りはするが早々に敗退。選手達には気の毒だったが、アムネスティの応援(?)は凄い。次回は本当に応援するから優勝を狙って欲しいものだ。
○ジャ−ナリストたち
アジバデ氏が編集していた雑誌「ニュ−ズ」を読んだことがある。硬派な記事が目を引いた。氏は、軍政を批判する記事を掲載したことで15年の刑を宣告された。同時期に同じ理由で他に3人のジャ−ナリストが逮捕されている。その一人であるクリス・アニャンウ−さんは、軍政が民主化に転じたとき最初に釈放された。彼女は釈放後、アムネスティに手紙を送ってきた。国際事務局から配信されたその手紙の、「ハガキの束が届き、小さな独房の床に、そのハガキや封筒を絨毯のように敷きつめました。私は勇気づけられ、周りを取り囲む圧迫するような壁を越えて、想像の翼を羽ばたかせることができました。」(訳:日本支部)のくだりに息を呑んだ。感謝の手紙は世界中の、言論の自由を守るジャ−ナリスト組織へ瞬時に送られ喜びを分かち合っている。彼らは電子ネットでも結ばれ、闘うジャ−ナリストたちを支援してきたからだ。ナイジェリアにもこのネットにつながる組織があるが、永らく言論の自由は制限されてきた。最近になって彼らの努力が功を奏し、法が改正され、自由が実現したと報道されている。
○民選大統領の誕生
99年5月に、当選したオバサンジョ氏が大統領に就任し民政がスタ−トした。オバサンジョ氏は元良心の囚人でもあり、アニャンウ−さんと同じ日に釈放された。氏はかつて言論の自由を取り締まる法律に署名した当人であり、その舵取りに懸念の声があった。「ナイジェリアには人権問題を始めとして問題が山積みしています。解決するまでに大変な時間がかかります。」とアジバデ氏が言われる。現在も、南部デルタ地帯で警察による少数民族への発砲事件、ゼネナルストライキなど落ち着かない情況がある。軍政による腐敗、制裁としての経済封鎖により、国民の大半が貧困ライン以下に陥り、債務返済は多額に上り国家経済の立て直しが急務でもある。しかし、オバサンジョ氏のリ−ダ−シップは認められつつあるようだ。私たちの活動ファイルは閉じられたが、まだまだ気になる国である。再び、ナイジェリアのUA(緊急行動)がアムネスティから出ないことを願っている
ナイジェリアからの手紙 "こんなこともあった!" 水戸グル−プ 阿部
しばらくぶりにナイジェリアのクンレ・アジバデ氏からEメールが届いた。98年に釈放後は欧米に滞在、講演などで活躍され、帰国後は復職し、現地のジャーナリスト団体の責任者も兼ねているらしい。元気な便りが届くと格別にうれしいものである。
すでに小編「ナイジェリアからの手紙」で氏のことは紹介しているが、その続編として2.3のことを書き加えてみたい。
○思いがけず…
アジバデ氏の場合もそうであるが、國際事務局から「囚人ファイル」が送られてくると、グル−プでやることといえば相手国政府への手紙書きが主な仕事になる。それ以外にメディアや関連の各国政府へアピ−ル文を送ったりすることもある。当時、ナイジェリアはメディアへの言論弾圧が激しかったので、不用意な文面では迷惑をかけるのではとの懸念があったが、政府への要請文をコピ−し、私たちはこんなことをしていますよ、とのメッセ−ジをメディア数社に送った。ほどなく、そのアピ−ル文が雑誌「ウィ−ク」の投書欄に掲載されたことを國際事務局が知らせてきた。なんの変哲もないわずか数行の文章だが、ジャ−ナリストであるアジバデ氏を救援する、はるか遠くの日本から届いたメッセ−ジの珍しさもあって採用されたものと思われる。これに気をよくしていたら、「ウィ−ク」誌の編集長が逮捕されてしまった。度重なる政府批判に業を煮やして警察が強権に出てきた為らしい。アムネスティで緊急活動が起こされ当グル−プにも打診してきた。私たちの投書も一因かと責任を感じていたので早速参加し(罪滅ぼしに?)釈放要請の行動をとった。その後、釈放リストではこの編集長を確認することはできなかったが、現在は元気に活躍されていると信じている。
○環境保護活動家
97年12月に温暖化防止京都会議の記事を見ていたら「ナイジェリアでは追われる身。 環境権利運動メンバ−。 オロント・ダグラスさん。 軍事政権が環境や人権保護活動家を徹底的に抑圧している。・・・」とあった。環境NGOの支援を得て出席し、石油資本によるオゴニランドでの環境破壊を訴えている。ダグラスさんは前々年に処刑された作家ケン・サロウィワ氏の弁護団のひとりでもあった。京都でのサロウィワ氏追悼集会にも駆けつけている。この集会はアムネスティ京都グル−プが合同で開催したようだ。私には、彼が出国できたことも危険だったと思うし、このように報道されたのでは自国への入国はさぞかし難しかろうと考えた。しかし、東京事務所に聞いたら、こういったことは今に始まったことではないらしく、彼らは国連の会議にも積極的に参加し、ナイジェリア政府批判を国際的に、しかも大々的に行っているとのこと。ここまで大々的にやられると軍事政権もなかなか勝手な事はできなくなるらしい。幸い、ダグラス氏になにかあったというニュ−スは入ってこなかったので、当局の目を逃れての生活ではあるものの、身の安全は確保して自国での行動を継続されたようである。いずれにしても、アムネスティ活動を通じて悲惨な人権状況に絶望感に囚われる一方で、そのような状況下にめげずに厳しい闘いを続けているひと達を具体的に知ることができ、貴重な経験を得ていると受け止めている。
○インターネット事始め
囚人ファイルを受け取ると、グル−プとしては國際事務局から年に2〜3回送られてくるニュ−スリリ−スやステ−トメントがほぼ唯一の情報源である。新聞に目を凝らして関連の記事を拾い出すことも大事な仕事である。しかし、98年の独裁者アバチャ氏の急死にともなう民主化への目まぐるしい変化には、ニュ−スリリ−スなどはとうとう追随できなくなってしまった。日本の新聞にアフリカの記事が載ることは少ないし、ましてや釈放された囚人の名前を確認することなどできない。孤島に取り残されたか。しかし、文明の利器、インタ−ネットがあるではないか。とはいうもののほとんど初めてだし、どきどきしながら、インタ−ネットに接続してみる。まずは「ナイジェリア(Nigeria)」で検索。だめだ、記事が数百もでてきてしまった。読みきれない。ならば「クンレ・アジバデ」ならどうだ。それでも数十はあるぞ。アジバデ氏は意外と有名なんだ。
でも、釈放の文字がない。以後、十数日間、情報を追いかける。そして、待ちに待った氏の釈放を7月20日のロイタ−電にて確認することができた。インタ−ネットは礼賛出来ない面も併せ持つが、囚人ファイルの何倍もの情報入手の可能性があり、活動を進める上で有用な面が多い。國際NGOには必須アイテムであると割り切って利用していきたいと考えているが、いかがであろうか。