むかしの久慈浜(五) 「明住会たより」第7号(平成8年11月1日) |
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「久慈はまのむかし」“わかる? 久慈浜のことば” |
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・おっかやん(おかあさん) ・おんじやま(おじさん) ・あんにやん(にいさん) ・なかま・いどこ(親類の総称) ・おばんかた(こんばんは) ・こわい(つかれる) |
・おとめ(赤んぼ・幼児) ・きめっこ(すねる) ・ふくしい(生活がゆたか) ・きどころね(うたたね・ごろね) (一部紹介) |
(明治35・3・27いはらき新聞) |
むかしの久慈浜(六) 「明住会たより」第6号(平成9年2月1日) |
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実現しなかった「行戸停留所」 |
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明治二十年、待望の常磐線が開通した。当時、久慈浜に駅を作る予定であったが、漁民、町民の反対に合い、現在地の大みか駅が完成した。その後、久慈地区に移動するように陳情したが実現しなかった。 大正十年二月に「大甕、茂木間鉄道同盟協議会」が発足し、大甕・太田・大宮を経て栃木県茂木町に通ずる路線を敷設しようとするものであったが、プランのみで「甕茂線」は挫折した。 大正十一年二月、常北電鉄のよう町の有志による運動をすすめたが実現されなかった。 甕茂線(大甕・茂木間)、久宇線(久慈浜〜宇都宮間)が実現すれば、当地方の歴史も大きく変わったかも知れない。 資料(東京日日新聞久慈祭事誌) |