久慈町の歴史を辿る
(1)昔流甦大地

久慈小学校のある台地は、その昔から久慈川と久慈漁港を望む名勝地として数々の歴史を伝えている。
一、千福寺の縁起   千福寺は天台宗比叡山延暦寺の末寺で、貞観年中(八五九年〜)天台宗第四祖呪慈覚大師が開基、寛和四年(九八六年)正月了伝上人が開山(現在の久慈小学校寺蹟)、宏荘なる堂宇伽藍は大いに輪煥の美を極めたが文久元年(一八六一年)九月本堂庫裏、宝物、古記録など一切を灰儘に帰した。その後現在地に再建されたのは昭和の初期である。
二、久慈八景  第九代水戸藩主徳川斉昭は藩子弟の自然への親しみと心身の鍛練をるため水戸八景を選び一日90kmの八景巡りをさせたとのこと。日立市内にはこれに擬た各地の八景があり久慈八景の「千福寺帰阪」「鉄砲場晴嵐」「寺山晩鐘」「釜坂夜雨」がこの周辺に集中しており、名勝の地であることが伺われる。
三、久慈小学校   明治六年七月、県令により民家を借りて開校、明治十九年、久慈尋常小学校
明治二八年九月、現校地に移転昭和三八〜四三年、鉄筋校舎新・増築落成昭和三九年、創立九十周年記念式典・渡辺清吉先生胸像建立、 昭和四九年、創立百周年記念式
四、久慈小学校のケヤキ   校庭に聳え立つケヤキの巨木は久慈小の象徴となっている。明治三八年十月、日露戦争の戦勝記念として百本植えられたが、校舎の拡張と共に失われ現在は三本が百年の歴史を見守っている。(日立市巨木指定)
五、久慈町の役場   明治二二年、町村制実施により久慈村と称す明治二七年、町制施行、久慈町と改称す昭和三〇年、日立市に合併 明治中期に建設されたと推定されるが、近代的なモダンな役場であった。

六、茨城百景  茨城百景は昭和二五年(一九五〇年)
   五月、茨城県観光審議会で制定された。日立市内
   では五箇所が選ばれ「久慈濱海岸」がその一つで
   ある。

旧久慈町役場

日立市巨木指定:久慈小学校のケヤキ