11月16日付、読売新聞「顔」欄に、スパルタスロン(女性の部)で、二度目の優勝を果たした女性(53才)が掲載された。
「アテネ〜スパルタ間 約246qを36時間以内で走るウルトラマラソン。エントリー1371人(女性38人)のうち完走は125人(同16人)にとどまった過酷なレース」
「33才で子宮ガンが見つかり手術した。 万が一に備え、頑張る姿を子供たちの目に焼き付けておきたい とマラソンに挑戦した」
上記の記事を、お前達(長女、次女、長男)に送信して、お前(息子)の返信は、「自分は、まだまだ。上には上がいるのですね。」
お前の視点は約246qにある。
だが、やがて父親になるであろうお前には、赤い文字に視点を置いてもらいたい。
8月
21歳のお前は、金曜日の夕方に東京を出発し、私の誕生日の前日、日曜の朝に我が家に到着した。
2泊3日ならぬ、2無宿泊3日。
約150q、40時間弱を、ほとんど眠らずに歩き続けた。
到着したお前からその事実を聞き、ボーゼンとした私は、それでも冷静に言った。「馬鹿だね、お前」
だが一週間後、私は、お前にメールを送信した。
「敬意を表する」と。
お前の返信はふるっていたな。 「身に余る、お言葉」
一週間の間を置いたのには、訳がある。
予想どおり、お前の友人、知人の評は、「馬鹿だなあ」だった。
それは、悪意ではない。
経済優先、効率優先の現代がもたらす、必然の結論だ。
しかし、経済、効率の怪獣たる人間も、大病や死といった極限状況に臨めば、本来の姿を見せるものだ。
即ち、「素の人間」。
極限状況の時、その心のスクリーンに映るものは、150qの行程で、ともに歩く者がいないお前を、「我が家まで歩いて行くのだ」と決意させ続けた「何か」だ。
二時間ほどの仮眠の後、妻は、チョット無理ではないですかと言ったが、私はお前を起こした。
「明日の誕生日祝いのかわりに、昼食でもご馳走してもらおうか。」
充血した眼だったが、お前は、即座に起きだした。
男の子育てのポイント
150q、40時間弱、ほとんど眠らず帰宅した息子を、二時間の仮眠の後に起こすのは酷だ、と思うのは、母親の優しさだろう。
だが父親はーーー息子は何のために敢行したのか。
さらに強くなった自分を見せに来たのだろう!
その目的の完遂の為に、いかなる補助を為すべきか。
客観的に判断しなければならない。子供の利益を。
翌日
父親の誕生日だからと、あらかじめ休暇をとっていた姉2人が、私が上京しないので、近場の温泉に行くという。
「ボディガードとして、お前も同行しろ」と私は命じた。疲労回復にも良い。
いつもなら、姿を消す場所で振り向いて、挙手するお前だが、さすがに疲れきっていたのだろう、少し足を引きずり、スッとお前は姿を消した。
その背中が、残像として、私の眼に焼きついた。
久々に見た絵だった。
私の最期の、心のスクリーンに映る画面のひとつになるだろう。
確かに受け取ったぜ。53才の誕生日プレゼント!!
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