エッセイ




 3    いつもの正月
更新日時:
2008/02/22
幸運にも庭がある。
 小さな庭だ。
 
 子供達が幼児の頃に、実の成る苗木を植えた。
 りんご、梅、梨、プルーン、柿、みかん、桜、ブルーベリー、etc.
 
 最も成長したのが、鳥が種を運び、放っておいた名も知らぬ木。
 やはり自然の理には勝てない。
 
 子育ての「管理と放任」のさじ加減にも通じるのか、などと考えながら、その木の一部を伐採した。
 
 庭に陽が戻った年末、子供達が帰省した。
 
 玄関にどかっと腰をすえた息子が、何やら作業を始めた。
 何をしているのかと問えば、夏に母親が欲しがっていたのでと、予め工具を揃え、インテリアとしての杵と臼を作るという。
 
 「怪我に注意しろよ」の一言は添えるが、あとは「放任」するのは、幼児の頃から一貫している。
 おかげで息子は、大型のぬいぐるみ作りから、家電品の修理、パソコンの設置等々、ずいぶんと役立ってくれている。
 
 高校の同級生から「良い亭主になるわよ」「良い父親になれるんじゃん」と評されたのも、うなずける。
 私も、言っておこう。
 良い息子だ、助かるぜ、何せ私は棚ひとつ作れぬ男だから。
 
 恒例のクリスマス会。
 そして、もちつき。
 今年は、すべてを子供たちに任せた。
 
 私は、息子の作ったおもちゃのような杵と臼で、もちをついてみた。
 
 「おい、もちができたぞ」突けば当然できる。
 そうは思っていても、実際にできあがるとなぜか笑える。
 そんな私の姿を、妻が写真に残す。
 
 遊んでいる私たちのそばで、息子が本物の杵を振り下ろし、長女がへっぴり腰で、もちをひっくり返す。
 
 「つけていない部分を、中心に集めるんだよ」と、私が口をはさむ。
 次女は、もちの成型のために待機。
 
 「最後に、もちを少し残して、お湯で伸ばせよ」
 「どのくらいお湯を入れるのですか」
 「適当だよ、テキトー」
 
 妻が持ってきた蒸れたもち米を臼の中に入れ、こねる、突く、ひっくり返す。
 すべてを一人でこなしたのが、最初だった。
 
 木のしゃもじで、もちをひっくり返すと言う知恵すら出ない初心者だった。
 もちは熱い!
 
 時には、生後数ヶ月の息子をおんぶして、もちを突いたこともある。
 杵を振るたびに、カクン、カクンと息子の首が前後していたことに気づくのが遅かった。
 
 後々、悪影響が出るのではと、新米父親の私は、内心動揺していたのだが、多分、悪影響は出なかったーーと思う。
 もし今後出たら、この場で息子に、謝罪しておきたい。
 スマン。
 
 次女にも謝っておこう。
 数ヶ月前、東京で会い、別れる間際に土産を渡された。
 
 私は「荷物になる」と、言わずとも良いことを言う。
 が、帰宅後に、電話をしている妻には、伝言を頼む。
 「納豆専用の箸と器。これは、ウケルゼ」
 
 息子がもちを突き、長女が補助をし、次女と妻が、のしもち、鏡もちなどの成型をしている間に、二階の一番陽あたりの良い部屋で、昼食の準備を私がする。
 
 「納豆専用の箸と器」も加わり、毎年恒例の、つきたてもちの昼食が始まる。
 20数年間の、いつもの光景だ。
 
 そして、いつもの大晦日、いつもの正月を迎える。
 ただひとつ、異なるのは、正月の宴が終わり、子供達三人を見送ることだ。
 
 外で見送る妻、二階の窓から見送る私。
 この光景も、やがては変わる。
 変わるのは当然だが、変わらぬものもある。
 
 子供達よ! 息子よ!!
 私は妻に、お前達が、この地で高校を卒業するその日まで、一日も欠かさず、見送ることを義務づけた。
 一日も欠かさずだ。
 
 だから、君達の母親は、屈託もなく自然に「気をつけて行くのよ」と、手を振れる。
 「またね」と、君達も、微笑むことができる。
 
 この心象風景は、変わらないはずだ。
 やがては息子が父親となり、二階の窓から子供達を見送るだろう。
 やがては娘達が母親になり、子供達に手を振るだろう。
 
 それは、永遠に・・・・・いつもの正月・・・・・だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 


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