久原が開発する以前の日立鉱山は、宮田川の上流部に当たる赤沢谷に沿って開発された赤沢鉱山と呼ばれる小鉱山でした。
日本の多くの鉱山が交通の不便な山地深くに位置していたことに比べ、この鉱山は恵まれた場所にありました。
日立鉱山創業までに、常磐線は現在のルートが完成しており、宮田川は源流から太平洋に注ぐ河口まで約8キロという短い河川で、鉱山から出る鉱毒水の対策をしやすいなど、久原は埋蔵鉱石量、日本の中央部に位置する利点などを事前調査により確認していたようです。
赤沢銅山の名は、鉱山の所在地である日立村にちなんで日立鉱山と改められました。