日立村物語

角彌太郎(かど やたろう)

角彌太郎 広島県生まれ、十七歳で大正村の収入役、法曹界を志して和仏法律学校(法政大学)に入学、卒業後、宮内庁に勤務しました。

明治33(1900)年、上司から小坂鉱山よりの求人依頼を受けましたが適任者が見つからず、裁判官になる夢を捨てて自ら小坂に勤務することとしました。

明治40(1907)年、日立鉱山に移り、自分の使命は煙害という難問題の解決にあるとして初代庶務課長に着任。道義をもつて事を貫くその信念を反映した今日でも驚くばかりの施策により解決に導きました。

また、角は、従業員の生活環境の改善にも尽力し、地元や従業員の厚い信頼を得ました。諏訪台の桜塚にその名が刻まれています。