常陸国風土記1300年記念フォーラム
2013.11.4 TOPへ
◇水戸市にある県文化センター駐車場である。イチョウが黄色く黄葉している。奈良時代のはじめ和同6年(713)に元明天皇の命(詔:みことのり)が出て今年1300年。この詔で編纂された常陸国風土記は、全国に残る5つの風土記の一つである。常陸国風土記1300年記念フォーラムがここ文化センターで開かれた。トークショーの話内容:@茨城県の良さをもっと表現しよう。A風土記が残る東国では常陸国風土記だけ。B美浦村の陸平貝塚は日本人が初めて発掘。Cひたちなか市の虎塚古墳の壁画と同じものは福島と九州にあるだけ。D茨城には歴史遺産が多い。E常陸国風土記の原本はないが後世の人が書き写した写本、版木で印刷した版本が残っている。斉昭が天保10年(1839)に版木を作らせている。F戦国時代から徳川幕府になって戦争でなく、歴史を知るよう指導した。G徳川光圀は当初歴史に興味がなかったが、江戸の火災で尽く歴史書物を焼失し、歴史に目覚め大日本史編纂にかかった。H常陸国風土記は藤原鎌足の孫にあたる藤原宇合が編纂した。藤原宇合は副遣唐使だった。I常陸国風土記には潮来の地名として板来が記述されている。
◇風土記が編纂された奈良時代の日本の人口約560万人、常陸国は22万〜24万人で全国一の人口であった。豊かな国のためか、常陸国は天長3年(826)には皇族が国司を務めた「親王任国」だった。
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