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2005.11.12 | ←戻る トップへ 次へ→ | ||||
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阿字ヶ浦海岸は、夏は海水浴場として多くの人が訪れる。駐車場は海水浴客の車で一杯になる。オフシーズンの今は、数台の車が訪れる海のきれいなところだ。今日は、風が強いが釣りを楽しむ人たちが糸を投げていた。 3年くらい前までは、多くのサーファーがこの海に来て波乗りをしていた。その時は、隣県ナンバーの車がたくさん並んで、駐車する場所がないくらいだった。沖の堤防や防波テトラポットが設置されたためか、サーファーが望む波は来なくなった。 今日の砂浜は、手前の砂の段差部を波が来るたびに削り取っているようだった。白砂青松の浜が、昔の面影がなくなったと嘆く話しを聞いたことがある。 ここは徳川光圀のころからか、6頭の馬で東海村の村松虚空蔵さんから磯前酒列神社まで競馬が、毎年1回行われた砂浜という。志田諄一著「続 東海村の今昔」で「水府志料」の紹介をしている。長砂村から3頭、高野村から2頭、須和間から1頭の馬を出して、村松村から磯前酒列神社の山まで、2里8町(約9km)の渚を駆け競い、豊作を占ったという。 今は、その砂浜は間に、ひたちなか火力、ひたちなか港などができて、連続していない。 |