太田落雁
2006.03.16 前へ トップへ 次へ
昨日は、満月の夜で「月はとっても青いから遠回りして帰ろう♪」と思わず口から出てしまういい月だった。本日は、天気予報で下りさかで、午後には雨かと思ったがまだ午後7時でも降りだしていない。
本日、先月16日に寄った太田落雁の場所に行ってみた。それは梅の木が何本か近くにあったので、それが咲いたかと思い見に行った。目当ての梅は、剪定された枝に数輪の花をつけているだけだった。落雁の展望台から常陸太田市の東側市街が見える。徳川斉昭が書いた石碑と看板、眼下に市街と奥に阿武隈の山並みを写真に撮った。写真にある左端の看板には次のように書いてある。
【 太田落雁
 天保4年(1833年)に、水戸9代藩主徳川斉昭(烈公)が、領内の景勝地を巡視し選定されたものである。
 水戸八景設定の大きな目的は、藩内の子弟に八景めぐりをすすめて、自然観賞と身心の鍛錬とを図るためにあった。太田落雁は、そのひとつである。阿武隈の連山を背景とした稔りの秋のすばらしい眺めや、雁が刈田におりる情景を公は、
 さして行く 越路の雁の
     越えかねて
   太田の面に しばしやすらふ
と詠み、太田落雁と命名された。
 碑の大文字は、烈公の書で、その書体は水戸八分といわれ「大}は「太」の古字である。
 また、付近に湧井があるが、これはもとの太田御殿の「お茶の水」として使われ今に伝える名水である。
      常陸太田市 】