旧久昌寺跡
2006.10.19 TOPへ
 昨日の「ふるさと歴史散歩」西山荘周辺散策の中で、一番印象が強かったのは旧久昌寺跡である。現在の久昌寺は常陸太田第二高の西側にあるが、旧久昌寺跡は西山荘の南、西山研修所の西の交点くらいに位置する。写真で見られるように高台にあるが、周囲は荒れている。ここにはもともと、佐竹系の稲木氏の菩提寺の万松寺があったが、戦乱から復帰できた佐竹義舜が、この地を天徳寺として開山し菩提寺とした。秋田移封の時には、佐竹氏と一緒に秋田へ天徳寺を移し、現在も天徳寺が秋田にある。徳川光圀は、母久子が埋葬されていた水戸市経王寺から瑞龍山に改葬した。この経王寺は、天徳寺跡へ移して久昌寺と改称した。明治の廃仏毀釈で、久昌寺は現在の久昌寺に移された。