助川城址公園

2007.04.05 TOPへ
 日立総合病院の西方に助川城址公園がある。ここは江戸末期、ペルーが横浜に来てから水戸藩が海防強化が必要と考え築城したところである。山形県の山野辺城の内部騒動が徳川幕府の知るところとなり、没収され水戸家老になっていた山野辺氏が助川海防城主になった。天狗諸生の乱(1864年)で助川海防城は焼失してしまった。助川城址公園には本丸館跡、遠見番所跡、表御門礎石、養正館跡などが残っている。
 助川城址公園には、梅、桜、椿ほかが植えられており、今、桜が咲いている。
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