水戸光圀
2007.10.31 TOPへ
テレビ放映の水戸光圀像は実像と全く異なるとの講義開口から始まる歴史講座を聞いた。光圀は馬に乗り、歩いたのは、常陸国内だけで例外としては熱海くらいであった。光圀の母の供養のために建立した久昌寺、その住職として招請した日乗上人との繋がりが強かった。その日乗上人が残した日記で光圀の実像を知ることができる。光圀は、後世に漢詩や和歌を残すことに力を入れた。残した漢詩は1500、和歌は1000と多い。客人を呼ぶのが好きで、そこで酒盛りと詩を詠ったのである。写真は、今日のツワブキの花である。
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