南方33館主
2007.11.25 TOPへ
常陸には南方33館主というのがある。佐竹義宣は、京都に上り豊臣秀吉に謁見した際、石田三成を介し南方33館主謀殺の計画を言上した。天正19年(1591)義宣は、鹿島・行方地方の33の館主父子を太田城に呼び酒宴の後、謀殺した。水戸市和光院の過去帳にはこの時の15名の記録があるという。鹿島神宮から西方に約900メートルくらいのところに鹿島城跡がある。写真はこの鹿島城跡から北浦と神宮橋を見たものである。この場所には明治26年に建てた石碑があり、その脇に現代文訳がある。その鹿島城主が佐竹によって殺害されたことが記載されている。本日、この鹿島城跡のほか、粟生(あおう)城跡、林城跡に行ったが、このような明確な掲示説明はなかった。
           【上の写真をピックしてカレンダー表示のサムネールに戻る】