常陸風土記の今
2007.12.02 TOPへ
古代久慈郡の常陸風土記の地を巡った。常陸太田市を流れる山田川に常陸風土記では「石戸のふち」といわれた地がある。写真の淵は、ここに人が集ったと常陸風土記に書かれたところと見ている。近くには横穴墓群あり、大和朝廷から派遣された役人の墓ともみられている。班田収受を推し進めるため、朝廷から派遣された太田部(田の開墾)の役人がいた。なお、常陸太田市はこの太田部からきたのだと今日の案内者の話だった。
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