郡奉行「石神組御用留」
2009.02.14 TOPへ
◇明和3年(1766年)2月14日、水戸藩第5代藩主徳川 宗翰(むねもと)が死去した。その後を宗翰の長男治保(はるもり)が16歳で第6代藩主となった。治保はこれまでのダメ藩から雄藩に改革した偉大な藩主であったと茨城大学磯田准教授の今日の講演であった。それまで郡奉行が城内にあったのを統治する地域におくようにした。加藤孫三郎が東海村石神外宿の2代目郡奉行になった。郡奉行の1年間の記録「石神組御用留」が茨城大学と東海村古文書を読む会の共同で解読、発刊となったので、その記念シンポジウムが今日だった。古くなった藩の舟を入札で払い下げ、医師の教育と報償、育子政策など今の政治家にも聞いてもらいたいような内容だった。
◇長久保赤水は伊能忠敬の日本地図完成より42年も前に地図を作成出版した。高萩市赤浜の農民の出の赤水は、安永6年(1777)61歳で上記水戸藩主徳川治保の先生(侍講)になっている。
◇写真はプリムラである。小学校の校舎軒下のプランターの花である。
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