ツバキ
2009.02.19 TOPへ
◇昨年園芸店でツバキの花の色がきれいなので、求めた。花後、すぐ翌年の蕾が付いたが、葉と共に元気がないように見えた。この春、この心配をよそに蕾が大きくなって今にも咲きそうになった。
◇安永6年(1777)長久保赤水は、61歳で郡奉行皆川教純らの推薦により抜擢されて水戸藩主治保(はるもり・27歳)の侍講となり、江戸小石川藩邸に常勤の身となった。それから13年後の11月、初めて治保は赤水らを伴って水戸藩に帰国した。寛政3年(1791)3月治保は領内北部の村々を視察した。その時、現在の高萩市赤浜の赤水の書屋松月亭に寄った。そして家族15人全員の目通りを許された。
◇赤水は85歳で病没したが、その後、水戸7代藩主治紀(はるとし)、9代藩主斉昭が赤水の遺宅に寄っている。その時、斉昭は「赤水の旧跡にしたひ来てよめる 山川をはるばる越て今日ここに 手綱のたつねてそ くる」という和歌を詠じ赤水の子孫に賜った。この歌は現在、ご子孫の家前にある松月亭碑に刻まれている。
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