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2009.02.28 | TOPへ | |||||||||||||||||||||||||
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◇北茨城市磯原町大塚の菅股城址を訪ねた。その場所を白い犬を連れて散歩していたご婦人にお尋ねした。呼び方は「すのまた」と確認したが、城址下に住む別の方からは素直に「すがまた」といわれた。正面の杉山が菅股城があったところで、城址は自然のままでやっと歩けるほどだった。写真2/21 ◇菅股城主の大塚員成は小田治久や那珂通辰らと南朝に属し、新田義貞の鎌倉攻めで稲村ヶ崎で活躍したが、7年後北畠攻めに参陣し菊田の庄で討死した。その後大塚氏は、佐竹氏九代の貞義の弟義成を養嗣に迎え佐竹氏らの北朝方に変身した。 【上の写真をピックしてカレンダー表示のサムネールに戻る】 |