那珂通辰(なかみちとき)
2009.04.25 TOPへ
◇常陸太田市増井町に研修宿泊施設「ときわ路」があり、その近くに那珂通辰らが自刃したという碑がある(写真左の小さい石碑)。写真で大きい方の石碑には「一本松の峰」と書かれており、増井町の正宗寺近くにある那珂通辰の墓の看板に下のような説明がある。
◇「那珂通辰は現在常北町にある那珂西城の城主といわれている。建武2年(1335)12月後醍醐天皇にそむいた足利尊氏追討の命を受けた義良親王と北畠顕家は陸奥の国府を発って、多賀の甕の原で足利方の佐竹貞義と激戦した際、那珂通辰は背後より奇襲をかけ佐竹勢を敗走させたという。その後、通辰は北畠顕家に従って上洛し後醍醐天皇から菊桐紋章を賜った。
延元元年(1336)瓜連城に楠木正家が入城し通辰が帰国するに及んで西金砂山に籠城していた佐竹勢としばしば戦った。同年12月11日瓜連は攻め落とされた。このとき佐竹貞義を西金砂城に迎撃して大敗した通辰の軍は敗走して増井の勝楽寺裏で一族34人と共に自害したとも捕らわれて切られたとも伝えられている。通辰一族の節に殉じた一本松の峰には、これを顕した碑が建てられている。」
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