古河城本丸跡
2009.05.28 TOPへ
◇古河城は南北1800m、東西500mもあって水戸城くらいの巨大城郭があったという。それが明治時代に建築は取り壊されてしまった。その後、数度の大洪水と渡良瀬川の大改修工事によって城域は、河原・堤防になって形が何も残っていない。写真のような標識があるだろうと、勝手に想像して、町中で草取りをしていた奥さんに聞いた。旦那が良く知っているのではないかと、家の中に呼びに戻った。何度も何度もここに来るまでの道を説明してくれた。
◇写真は、渡良瀬川堤防の左岸である。前方の橋は新三国橋である。古河城本丸跡という標識がないと、古河城跡ということは想像もできない。写真5/24
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