あなたの口から聞きたいですね
広い庭園でいそいそと竹笹を飾る二喬に混じって自分の想い人を見つけた。
楽しそうに会話を弾ませながら次々と飾りを付けていく彼女を見ながら思い出す。
「今日は七夕でしたか」
連日軍議や執務に追われ、今日が何の日かなど覚えていなかった。
まして彼女と一緒に過ごす時間などこの数日一分たりとも無い。
「これは、聊か酷いのでは」
上司への不満を含め、自分に回ってくる仕事の多さに辟易した。
それが自分への信頼の深さだと思えば文句は言えないのだが。
少々いつもより深い溜め息をついていると、彼に気づいた尚香が手を振った。
「伯言!あなたも一緒に飾らない?」
「えぇ、喜んで」
彼女の笑みに一瞬で心に優しい風が吹く。
今まであった心の靄が風に乗って消えていくのがわかる。
「・・・敵わないですね」
「ん?何か言った?」
「いえ、ほんの独り言ですよ」
苦笑する陸遜に小首を傾げて見つめる。
ほら、そんな仕草をされたなら誰だってあなたには敵わないですよ。
飾り付けを手伝い始めて程無く、庭園へと続々と人が集まりだした。
夜の帳も降り始め、藍の色が濃くなっていく空を見上げる。
「星は良く見えませんね」
「まだ時間が早いもの。ねぇ、少し散歩でもしない?」
「もちろんご一緒しますよ」
人輪の中から抜け出して、落ち着ける場所を探して歩く。
彼女の隣を歩いていてふと思い出した。
「尚香様、七夕の話は知っていますか?」
「牽牛と織姫の話でしょ、知ってるわ」
「では、もう一つの話をお聞かせしましょう」
「他にもなんかあったの?」
「えぇ、男女の話には変わりないのですが」
聞きたいわと目を輝かせる彼女に、にっこりと笑って語り聞かせた。
ある所に仲の良い夫婦がおりました。夫婦の楽しみは毎日一緒に月を愛でる事。
しかしある日、妻が亡くなってしまうのです。夫は悲しみにかられ、せめて妻の代わりにと
月を見つめます。そんな日が続いたある晩、一つの星に妻が乗っているのを見つけます。
愛する妻を見た夫は早く自分も空へ昇りたいと切に願いました。
そして彼も亡くなり空へと昇りますが、妻とは天の川を隔てた対岸の星になってしまうのです。
天の川は帝釈天が毎日水浴びをするので渡る事は許されません。しかし、年に一度だけ
帝釈天は出かけるのでその日だけは天の川を渡って逢う事を許されました。
その日が
「今日ってわけね」
「はい」
「悲恋、ではないと思うんだけど。やっぱりちょっと悲しいね」
「そうですね、私もそう思います」
触れる事も、言葉も交わす事すら出来ない。
年に一度だけの再会に、その日以外を狂う事無く過ごせるのか?
自分には自信が無い。
「逢いたい逢いたいと思っても、無理なのかな?」
尚香の問いに僅かに苦笑した。
「尚香様だったら、逢いたいと願えばすぐに叶うと思いますよ」
陸遜の答えに僅かに眉根を寄せる。
「そんなの嘘。毎日願ったって・・・」
途中で切れた言葉に問いかけた。
「逢いたいと思う方がいらしたのですか?」
「・・・いちゃ悪いのかしら?」
「いいえ、お相手はどなたでしょう?」
あくまで表情を崩さず、にこやかに尋ねてみるがこめかみが引き攣っているのは隠せない。
「馬鹿!伯言の馬鹿!」
「ちょ、ちょっと何でそこで怒るんですか!?」
突如走り出した彼女を追いかける。
怒りたいっていうか、逃げ出したいのは自分の方なのに。
そこではたと立ち止まる。
「もしかして、尚香様の待ち人は」
あぁ、だから怒ったのか。
やっと自分の無用心さに気づいて苦笑した。
まったく、何処まで人を喜ばせるのが上手いのか。
「敵わないですよ」
裏庭で待つ彼女を優しく後ろから抱きしめた。
「あなたの口から聞きたいですね」
「何を?」
今日何度目になるだろう、彼女の首を傾げる仕草を見るのは。
翡翠の瞳をじっと見つめて、本気の声を出してみた。
「「私に逢いたい」と」
「・・・それだけ?」
含みのある声に今度は陸遜が首を傾げる。
「私はいつだって伯言に逢いたいし、こうしたい」
女人の表情で魅せた彼女が胸に寄り添う。
「逢えないのはやっぱり寂しい」
「私も同じ気持ちです」
手と手を絡ませ、紺碧の空を見上げた。
天の川と呼ばれる星の集まりが今にも零れ落ちそうなほど輝いている。
「私は我侭だから、一年に一度なんて待ってられないわ」
多分、ううん絶対と零す彼女に笑みを向けた。
「では、私が迎えに参りましょう」
「それも駄目、待つのは苦手だもの」
「ならば天の川の中心で逢いますか?」
「帝釈天、怒るんだろうね」
「見せ付けてやれば良いのですよ」
たとえ神だろうとも、邪魔などさせない。
そうでしょう?
我が姫
<了>