我が槍にかけて<続>
222年、夷陵。
彼はただ一人、馬に乗って誰もいない道を進む。
今頃向こうでは激しい戦が展開され始めただろう事を思えば、
落ち着いてなど居られなかったが、それでも彼はこの道を選んだ。
そしてその許しも得て来た。
「久し、ぶりね」
供を一人も付けずに目の前に現れたのは、敵国の公主。
・・・自分の愛する人間。
少しやせたか?
それでもさらりと風に舞う髪や、透き通るような白さは変わっていなかった。
「約束を守りに来てくれたのね」
「あぁ、約束は守るさ」
すっと尚香の前に出した彼の愛槍に、血の曇りはない。
微笑む彼女の瞳は嬉しげに光る。
「あなたに会えて良かった、あなたを愛して幸せだった」
そう言って目を瞑る彼女は死を覚悟した。
「もう、私には何もないわね」
「・・・行くぞ」
「何時でも、あなたの好きなように」
瞳を閉じたまま、手を胸の上に重ねた。
馬が嘶き、地面を蹴る。
槍を突き出した音は金属音のように鋭い。
槍は彼女の身体を貫通したかのように見え、引き抜いた槍を
高々と振り上げた直後、尚香の圏の間を通して地面に突き立てた。
「呉国の公主、討ち取ったり!」
槍には血の曇りは未だない。
「・・・どうして?」
戸惑いの表情を向ける尚香に、馬を降りた馬超は苦々しく眉を寄せる。
「俺にこれ以上失わせないでくれ」
戦も、正義も、お前の存在には敵わない。
「お前の代わりに、名前も過去も捨てよう」
お前を失くす以上重い絶望など俺にはないのだから。
兜を脱ぎ捨て、尚香を真っ直ぐに見据える。
「孫の姓を捨てろ、尚香」
「!」
「俺と来い!」
手を伸ばした馬超の元へ涙を零しながら飛び込んだ。
「孟起!」
抱き止めた身体からは懐かしい香りがする。
手が、唇が、魂までもが彼女を求めていた。
尚香の頭に手を回し、深く口付ける。
泣きながら応える彼女を強く抱きしめた。
「孟起と生きていけるのなら、他には何も望まない」
ぼろぼろと零れ続ける涙を唇で拭う。
「これからはお前の為に生きよう」
222年、夷陵。
蜀軍馬超孟起、呉国公主孫尚香、行方判らず。
後に、二人共死亡と伝えられた。
<了>
夷陵に残された二人の武器は、諸葛亮によって長江へ沈められます。
そして彼等は死んだと世に伝えられるのです。
でも、本当は・・・って感じ(^^)