想紅
「奥方様!」
呼ばれて振り返った先に居たのは今まで一度も話した事もない男だった。
だが名前と顔くらいは知っている。
「馬岱殿?」
名前を呼ぶと嬉しそうに笑った。
その頬の緩ませ方が孟起と似ていて、少しだけ胸が跳ねたのを感じてしまう。
「某を存じていらっしゃいましたか」
「えぇ、孟起と一緒に居る所を何度か。それに、やっぱり似てるわね」
髪の色や目の色、同色とまでは行かないが似ていた。
じっと見つめると照れたように視線を逸らす。
あぁ、こういう所は似ていないのね。
孟起だったら、ニヤッと笑って何だ?って真っ正直に聞いてくるもの。
「それで、私に何か用事が?」
今まで一度も話した事のない人が、いきなり呼び止めたのだ。
何か理由があるに違いないと予想する。
しかし、思ってもいなかった言葉で面食らう事になるとはこの時思ってもいなかった。
「あの、用事と言いますか・・・従兄上の事で」
「・・・何か悪い事?」
眉根を寄せて、彼の顔を見つめる。
困った様に馬岱殿は頬を掻いた。
そして一気に頭を下げる。
「主君の奥方様にこんな事を言うのはいけないとわかっているのですが・・・どうか従兄上を
よろしくお願いします!」
「ねぇ、頭を上げてよ。それによろしくってどういう事?」
私は慌てて馬岱殿の頭を上げさせた。
遠慮深く静かに上げられた表情からは、懇願ともいえる願いが表れている。
「某はずっと従兄上と生きてきましたが、奥方様の隣に居る時のあの穏やかな顔は見た事がありません」
続けて彼は言葉を発し続けた。
「奥方様が、従兄上の唯一の安らぎの場だと・・・だから、どうか!」
ずっと従兄上の側に居てやって欲しいと、再度頭を下げた馬岱殿に再度面食らう。
「・・・馬岱殿、勘違いしてる」
「は?」
今度は彼が面食らったようだった。
少し笑いそうになりながらも、ちゃんと言葉で説明をする。
「あのね、孟起が私の拠り所なの・・・孟起の側に居るだけで、私は凄く安らげる」
「・・・奥方様」
「馬岱殿が言う事は孟起と私、反対なのよ」
自分で言って照れてしまったけれど、彼にはちゃんと伝わったようで。
「そんなあなただから従兄上も愛しているのでしょう」
と自分の事の様に嬉しそうに微笑んだ。
そんな会話を思い出したのは水に入る前。
そして今、思い出すのはあなたの事。
隣に並んで椿の花を愛でた事を覚えてる?
孟起は花を愛でる事はあまり好きではなかったようだけど、結局付き合ってくれて。
そんなあなたの優しさは、今でもこの胸に溢れています。
刺す様な水の冷たさも、遠くなる意識も不思議と辛いとは思わない。
だからきっと、この身と心を包むのは孟起の優しさ。
ずっと側にいたかった。
あなたの体温をずっと感じていたかった。
けれどもうそれは望めない。
だから変わりに真紅の花を。
あなたへの想いを、何年も何年も咲かせるから。
ずっとずっと、あなたの為に。
消える事のないこの愛を永久に。
<了>
辛いな〜って書いてる本人が思ってます。
でも書きたくなるんです・・・死ネタ(苦笑)