あなたのために
「・・・っくそ!」
いつものようにイライラが募り、いつものように甘寧とやりあって
いつものように物にあたる。
今回も盛大な音を立てて自分の部屋に合った花瓶を壁に投げつけた。
情けないと思いながらも止められない。
少し前までだったら陸遜なり、呂蒙なりが仲裁に入ってきたり、凌統を諌めてくれたり
したのだが最近は誰も近寄らなくなっている。
盛大なため息を一つついて花瓶の残骸を拾うが尖った破片で指先を切ってしまった。
「あ〜あ、情けなくて涙も出ないっつの」
ぷくっと球体のように出ている血を見て止血もせずにもう一つため息をつく。
その時控えめとはいえない音で部屋の戸が開き、少し怒っているような顔した尚香が立っていた。
「公績!あなたまた何か壊したわね」
ここで野郎共が相手だったら一睨みで退散させるのだが、凌統は滅法この姫様に弱い。
床に散らばった花瓶じゃなくなった物を見渡し、彼女も大きくため息をつく。
次に尚香が目にしたのは今にも流れ落ちそうな血。
「ちょっとそれ!」
「あぁ、破片でちょっとやっちゃいまして。別に大した事、じゃ・・・ない」
凌統の言葉も聞き終わらない内に、さっと指をとったと思ったらそのまま口に含む。
時間が止まったかのように尚香の顔から目が放せない。
指から口を外した彼女の第一声は「まずい」だった。
じゃあ吸わなきゃ良かったでしょうよと言ったら最後、何倍返しで言われるかわからない。
「ほら、指の付け根握ってなさい」
と言われたままに握る。キョロキョロとあたりを見渡す彼女、しかし探し物はなかったようで
自分のポケットからハンカチを取り出した。
「まったく薬箱どころか包帯の一つもないなんて、もっと酷い怪我したらどうするのよ」
文句を垂れながらもハンカチできゅっと指を縛る。
手馴れた様子に少し女性らしさを感じる、が、もしかしたら自分でしょっちゅう怪我してるんじゃ?
そう考えるのが一番妥当な気がして苦笑してしまう。
「何笑ってるのよ?」
「いや、姫の女性らしい一面を見れたんでね」
これぐらいならいつもやってるわと返って来たから、自分の考えが外れていなくてまた笑う。
また笑ったわねと軽く睨まれるが、それも一瞬で二人で微笑みあった。
ふと彼女が真顔になって聞いてきた。
「ねぇ、興覇と一緒に居るのは辛い?」
この質問がやっぱり来たかとため息をつく。そしてこの質問の後には孫呉のために仲良くやってくれと
言われる事が今までで九割九分九厘を超えているので、ほとほと嫌になっているのだ。
しかしこのお姫様には当てはまらなかったようで。
「親の仇と一緒なんてどう考えたって嫌よね〜?」
そう聞かれると「はぁ、まぁ」としか答えようがなく。
尚香はふんふんと頷きながらこっち来て話しましょとばかりに凌統の手を引いて寝台に腰掛けた。
いや、ここって俺の部屋ですよね?
まぁ口には出さずにいますけど。
隣に静かに腰を下ろすと彼女は難しい顔をして話し始めた。
「みんな・・・兄様も含めて、公績に興覇と一緒に仲良くしてくれって言ってるみたいだけど。
私はそれは無理だと思うのよ」
みんな仲良くが信条の彼女にしては珍しい言葉。
「もし黄祖が孫呉のためなら何でもやりますって言ってきても、私だったら許せない。憎くて
憎くてしょうがないと思う。だからあなたに興覇と仲良くしてなんて言えないわ」
何も口から出てこない、どう自分の言葉にしたら良いかわからない。
「一人で辛かったでしょ。泣きたい時もあったでしょう」
あぁ、やっぱり彼女には敵わない。
今まで出せなかった涙が流れ出てきた。
そっと尚香は凌統の頭を自分の胸に引き寄せる。
ぎゅっと痛くならない程度に強く優しく抱きしめた。
これ以上あなたを傷つけるものは私が許さないわ。
「こうしてあなたには何も見せなくするから。私の声だけ聞いていれば良いから」
ねぇ公績、あなたは私が守ってあげる。
だから
「何かあったらすぐに私の所へ来てちょうだい」
<了>