花氷




うだるような暑さが続く真夏の季節。
成都でも連日猛暑となり、この地の民よりも暑さには強いと思われた尚香も
夏ばての日が続いていた。
それでも何とか弓の鍛錬を行ってみる。
シュッと小気味良い音と共に放たれた矢は、見事的の中央に刺さった。
続けて次の矢を放つ。
五本程度続けたところで溜め息が漏れた。
「あっつーい!」
誰にでもなく叫んでみる。
叫んだところで暑さが和らぐわけではない、それでも知らず知らずに暑いと
零してしまう。
「尚香様」
名前を呼ばれて振り返ると、そこには姜維が立っていた。
公の場ではちゃんと奥方様と呼ぶが、以前に彼女本人からその呼び方は嫌いと言われてから
普段は尚香様と呼んでいる。
「どうしたの?」
「どうぞこちらへ」
回廊で自分を待っている彼に尋ねてみるが、姜維は呼ぶだけだ。
ニコニコと笑顔で尚香を呼ぶ彼が楽しそうだったから、小走りで向かった。
「何?」
「こちらへ」
首を傾げる彼女の手を取って回廊を進む。
「伯約、一体何なの?」
「今日はお暑いでしょう?」
「まぁ、夏だからね」
そうでしょうと応える姜維は何処となくわくわくしているような感じで、
年相応の姿を初めて見た気がした。
普段の彼は諸葛亮の側で難しい顔をしている事が多い。
軍師って大抵大人びてるのよねとか、でも笑うと子供っぽいんだったわとか
そんな事を考えていたらいつの間にか目指す場所に着いていた様で、
姜維にここですと促された。
「ここって、私の部屋じゃない」
「そうですよ。さぁ、中に入ってください」
不思議に思いながら入ると、卓の上に自分が出た時までなかった硝子の器が載っていた。
近づいてみると中に氷の塊が数個見える。
でも、只の氷じゃないのはすぐにわかった。
「どうですか?」
「綺麗、ね。初めて見たわ」
手に取ってまじまじと見つめる、氷の玉の中には花が色鮮やかなまま入っている。
確か、この花の名前は。
「シクラメンという花です。冬にも咲く花で寒さにも強いんですよ」
花言葉も知っているがそれはあえて教えない。
それこそ自分の想いそのものだから。
「この様に花を入れた氷を花氷というのだそうです。前に馬超殿からお聞きしました」
「孟起に?それは珍しいというか・・・意外ね」
「妹君がよく作っていたそうですので」
あぁなるほどと頷く。
「それなら納得出来るわね」
クスクスと笑いを零す彼女に姜維も笑んだ。

花氷を頬に当てたり、掌で転がしたりと夏の暑さも忘れて
楽しむ彼女に尋ねてみる。
「お気に召していただけましたか?」
「もちろん!」
「それは良かった、作った甲斐があるというものです」
姜維の言葉に尚香の瞼がパチパチと瞬きを繰り返す。
「伯約が作ってくれたの?」
「えぇ、半年程前に」
にっこりと微笑まれて言葉が出て来ない。
「天然の洞窟では夏でも冷たい温度が保たれてますので、そちらから持ってきました」
半年前のものを何処から持って来たのかがわからないと考えたと思ったのだろうか、
丁寧に説明してくれる。
しかし、尚香が感じたのはその事ではなくて。
「もしかして、贈る為に作ったものじゃないの?」
「そうですよ」
「何で私に持って来ちゃったのよ!?贈りたい人がいたんでしょう?」
怒る尚香に姜維は慌てて首を振った。
「違います違います!」
「何が違うの?」
ぶんぶんと頭を勢いよく振る姜維に尋ねる。
「私がこれを贈ろうと思ったのは始めから尚香様だけです」
「え?」
「花氷の事を聞いた時から、夏に尚香様に贈ろうと・・・」
ずっと思ってましたと続いた言葉は泣きそうな声で揺れていた。
僅かな沈黙の後、先に口を開いたのは尚香だった。
「伯約、ありがとう」
「尚香様」
「まだお礼言ってなかったものね」
「いいえ、お礼なん、」
言いかけた言葉は、頬に伸びて来た尚香の手に集中してしまって切れる。
さらりと撫でる手は氷によって冷えていた。
それがとても心地良かったのだけれども。
「尚香様?」
「・・・内気な、恋」
「え?」
「何でもないわ」
翻すように伸ばした腕も逃げて行ってしまった。
「・・・暑さのせいね」


あなたの瞳が泣きそうに潤んでいたのも、撫でる手が少し震えていたのも
暑さのせいですか?


「ねぇ伯約、今度の冬は一緒に花氷を作りましょうね」
「はい、喜んで」
「ありがとう」


そう言って笑ったあなたは、泣いていたのでしょう?
いつか、いつかあなたをこの腕に閉じ込めたいと思う私を
あなたは暑さのせいにするのでしょうか?


それでも、この氷のように
あなたの心が溶けるのを
私はずっと願い続けるでしょう



<了>
ちなみにシクラメンの花言葉は「内気な恋」です。
中国にシクラメンがあるかどうかとかは知らないので(爆)
気にしないでください