花明かり
お気に入りの茶器のセットと最近手に入れたばかりの茶葉を盆に載せて
最近ようやく慣れた廊下を進む。
目指す先には少し厚めの扉が付いた部屋、お目当ての人はここにいるはず。
盆を下に置いてそっと音を立てないように戸を開けてみるが、予想していた通り
彼は忙しそうに会議中。
会議と言っても彼と付き人、そして軍師の数名だけなのだがこの国の中枢の人物同士が
真剣に話しているのは結構な迫力だ。
残念と思いながらも丁寧に戸を閉めた。
茶器を見つめてもう少し待ってればお茶くらい出来るかも、と思い直しその場に腰を降ろす。
「桜・・・綺麗、一緒にお花見したいな〜」
豪勢じゃなくても良い、料理もお酒もいらない、ただ一緒に庭に咲く春の花々を見て
お茶を飲みたい。
だがこの国に来てから彼と一緒にいられる時間は極力少なく、もちろん自分の夫が
殿と呼ばれる存在で、毎日寝る間も惜しんで国のために働いているのは知っている。
「でも、たまには休まないと体が持たないわ」
独り言を言った所で届かないのはわかっているけれど、彼の邪魔もしたくない。
ついているつもりはないのにため息が続けて出てくる。
「・・・待ってるくらいなら良いよね?」
誰に向かってでもなく問いかけてみる。
答えはないけれど、彼を待つことに決めた。
音を立てないように背中を壁に付けてまた庭を眺めて見る。
盆も隣に置いて待ち続けるが、春の日差しが気持ち良く・・・睡魔が尚香を襲う。
寝ないように寝ないようにと抵抗するが徐々に力が抜け、彼女は眠り姫となった。
どれくらいの時間が経ったのだろうか?
まだ眠り続けている尚香の目の前には、この状況をどうしたら良いもんか悩む青年の姿があった。
部屋へ訪ねてみたものの彼女はどこかへ出かけたと聞き、城内を探し回って
やっと見つけたと思ったら、とうの彼女は夢の中。
こんなの所で女性が寝るもんじゃないと叱りたい衝動を抑えたのは、この場所が何の意味を持つのか知っているから。
きっと中にいる彼を待ち続けて眠ってしまったのだろうと安易に予想ができた。
しかしこのまま寝かせ続けても良いのだろうか?と悩みまくっている青年の背後には、既に何人かの
人が集まっている。
「趙雲、お前何やってるんだ?」
「そこにいるのは姐上ではないか?」
最初に声をかけたのは張飛、続けて武神と名高い関羽だ。
そのまた後ろには馬超も一緒にいる。
三人で鍛錬でもしていたのだろう、額に汗が光っていた。
「お三方、いや、あの、奥方様が・・・」
どもりながらちらちらと視線で尚香を指す。
「あぁ、眠ってしまっているのだな」
尚香にも趙雲にも気を使っているのだろう、関羽は少々ボリュームを抑えた声で話す。
「ほぉ、それでお前は起こすに起こせなく寝顔を覗いていたわけだ」
軽口を混ぜた馬超にムっとしながらも、真面目に起こせないだけですと答える。
「んだよ情けね〜な、どれ俺がちょっくら起こしてやるよ」
そう言ってしゃがみ込む張飛を止めるべきか頼むべきかまた迷う。
「ちょ、張飛殿!」
「まぁ見てろって」
尚香の肩をぽんぽんと叩く。
「ほらねーちゃん、起きろ・・・って」
張飛の動きも周りで見ていた関羽や馬超までも動きが止まる。
尚香の目からほろりと涙が零れ落ち、「玄徳様」と呼ぶ小さな声。
起きている時の彼女と正反対ともいうべき儚さは、そこにいる全ての者を縛り付けた。
綺麗な眉根を寄せ、切なげに夫の名を呼ぶ彼女の姿。
見ているだけなのになぜかいけない気持ちになる。
時が止まったかのように動けないでいると、すぐ側の扉が開いた音で四人とも我に返った。
「何やら話し声がするかと思ったらお前達だったのか」
こくこくと頷く事しか出来ない大の男四人の前には、未だ起きない眠り姫。
「尚香殿?」
劉備が名前を呼んだ途端、彼女の瞳がゆっくり開いた。
彷徨う視線が捕らえたのは夫の姿、ぱっと花のような笑顔を咲かせて飛びついた。
「玄徳様!もうお仕事は終わり?」
彼女を受け止めながら苦笑する。
「いや、まだ終わりそうもない」
「・・・そう」
寂しそうに体を離す彼女はしっぽと耳を垂れた子犬のようでかなりの罪悪感を覚えた。
なぜか周りの男達も残念そうに顔をしかめる。
「お前達までそんな顔をするな」
「ですが、奥方様はずっと殿を待って」
「子龍!私が勝手に待っていただけだから」
だから良いのと小さく呟いた尚香の顔は本当に切なくて、男達の胸は痛いくらいに締め付けられた。
はたから見たら気持ち悪いが、彼らは既に尚香に酔ってしまっているので自分で自分を抑えられないのだ。
尚香のため=正義のためと思い込んだ馬超が、いつもの正義パワーが爆発しそうな刹那、
劉備の後ろから助け舟が出た。
「殿、残りは軍師と官の仕事。たまには休む事も必要です」
「だが、やらなければいけない事は山程あるのだ」
「いえ、急いだからといって良いものばかりが出来るわけではないでしょう。殿が倒れたりなさったら
それこそ蜀にとって痛い事なのです。休む事も国を支えるあなたにとって大切な仕事です」
心の中で諸葛亮に感涙しながら拍手を贈る男達は、そうですよとしきりに頷く。
視線を集める劉備は皆の優しさに感謝して大きく頷いた。
「と、いうわけで私は急に暇になってしまった。尚香殿、一緒にお茶でも飲まないか?」
「・・・良いの?」
自分が仕事の邪魔をしてしまったのではないか?という不安と、でも一緒にいたいという願いとの
狭間に揺れる彼女は思わず聞き返してしまった。
「今日の仕事は無くなってしまったからな、それとも私とではつまらないかな?」
「ううん!玄徳様と一緒にお茶したい」
「なら、庭で花見をしながらゆっくりするとしよう」
自分のしたかった事をさらりと言われて、彼女は嬉しくてたまらないといった感じで抱きついた。
「玄徳様大好き!」
あるはずのないしっぽと耳がぱたぱたと揺れる様子が浮かんで、やはり子犬のようだと一同は思う。
お気に入りの茶器セットを乗せた盆を持って、劉備の後ろを着いて行く途中尚香は後ろを振り返り
「ありがとう」と花に負けない笑顔で口にした。
残された男達の顔が赤かった事は言うまでもない。
その日の夜に孫尚香親衛隊発足の会議が行われた事はまた別の話し。
<了>