噂の舞姫
その日、呉の城では大きな宴の準備に追われていた。
それは孫権の誕生日。
偉大な父と兄からこの国を受け継いだ孫権の誕生日なのだから、
自然と力が入るのも無理は無い。
そんな中、一つの噂が城中に広まっていた。
今夜の宴で舞を踊る女性は孫権の大のお気に入りらしい
噂に尾ひれはつきもので
曰く、その女性は孫権の妻になる女性だ
曰く、舞を糧に生きていた娘をどこからかさらって来た
など、他にも色々あるらしい
だが当の本人を誰もまだ見ていない。
だからこそ余計に好奇心がうずうずしている者が多いのだ。
準備や仕事をサボって何かと孫権や女性が集まる場所へちょろちょろと人が
行ったり来たり、だがそんな様子も孫権には面白いらしく怒ることは無かった。
夜の帳が降り始めた頃、待ちに待った宴が始まる時間となった。
噂の渦中の人である女性は、孫権に寄り添って会場へと入る準備をする。
その女性の耳元へ孫権は口を近づけ、にやりと笑って囁いた。
「私が良いと言うまで声を出すなよ」
こくんと頷いたのを確認してから、彼女の手を自分の腕に組ませて扉を開ける。
臣下達の拍手に迎えられた二人は壇上の中央へと進む。
噂の女性に視線が集中する。しかし孫権はそれすら楽しいようだ。
簡単に感謝の言葉を伝え、自分の席へと座る。
そして彼女の舞が始まった。
中央付近に座っていた陸遜は心密かに頷く。
(なるほど、確かに殿のお気に入りと言われるだけの女性だ)
髪は腰まで長く、白い四肢が目立ち、舞っている表情はとても艶やかだった。
雰囲気を出すため照明は薄暗いから余計に表情が儚げである。
ちびちびとお酒を飲みながらそんな感想を持った。
「私としては尚香様の舞が見たかったんですけどね」
「おー!陸遜も言うねぇ!!」
本当に小さな独り言を言ったつもりだったのに、いつの間にか隣には瓶を片手に持った
甘寧が座って聞いていた。
文句を言おうとすると
「まぁまぁ、これでも飲めよ」
と酒をたっぷり注がれた。
「それで、甘寧殿は何をしにここへ来たんですか?」
少しばかり棘があるようにわざと笑顔で聞いてやる。
「いや、あいつの近くの席だったもんだからな・・・逃げて来た」
あいつと言った視線の先には凌統がいた。
はぁ、ため息を一つつく。
「相変わらず仲が悪いようで」
「良くはなんねぇだろ・・・姫さんがいると少しは和むんだけどな」
きょろきょろと辺りを見回すが彼女の姿は無い。
「あぁ、今日は遅れて来ると聞いていますので」
「ってか、さっき姫さんの舞が見たいとか言ってたけど・・・踊れるのか?」
「・・・踊れるとは思いますが」
「見た事ねぇんだな」
「・・・えぇ。というか踊れますよね?」
「俺に聞くなよ」
二人して失笑していると、会場からわぁっと声援が上がる。
視線を壇上に戻すと彼女が一つ目の舞を終えていた。
休む間もなく二曲目の音楽が流れ始める。
彼女は疲れた素振りすら見せずに舞い始めた。
既に会場の男達は彼女に首ったけ状態で、表情が緩みきっている。
「はぁ、良い女だよなぁ」
「確かにお綺麗ですが・・・甘寧殿は尚香様をお慕いしているのではなかったですか?」
「だからよぉ、姫さんとあの女二人に挟まれたらすっげー良くねぇ?」
「それは失礼が過ぎますよ!」
「まぁそう言うなって、昼は姫さんで夜はあの舞姫ってのも乙だぜ」
甘寧の想像している事を陸遜も想像してしまい、思わず顔が赤くなる。
「お〜お〜陸遜も男だねぇ」
「わ、私は尚香様が居て下さるなら他には何も望みません」
「ふ〜ん、俺は二人とも欲しいけどな」
唇の端を上げて笑う姿が此れほど様になる男は中々いないだろう。
が、陸遜にはそんなもの関係なかった。
それは離れた場所にいる凌統にもいえた事で、先ほどの会話が聞こえたのだろう・・・めっちゃ甘寧を睨んでいる。
「おっと、あっちの奴も怒ってやがる・・・まぁ力ずくでなんてやらねぇから安心しろよ」
「当たり前ですよ!!!」
「お前らうるさいぞ!」
後ろからぽかりと二人の頭を小突いたのは呂蒙だ。
「す、すいません呂蒙殿」
「悪かったなオッサン」
「オッサンではないし、俺に謝るのもどうかと思うが」
苦笑した呂蒙は続ける。
「まぁ宴なのだから騒いでも構わないのだろうが、今宵は素晴らしい舞姫がいるからな・・・
皆見とれて声が出ないでいる」
視線の先に舞い続ける彼女の姿。
指先までしなやかに美しかった。
思わず見とれてしまい、脇を甘寧に突付かれる。
その表情が、ほらお前もそうだろ?と語っていて。
ブンブンと頭を振った。
刹那に終わる二度目の舞。
彼女は一礼すると孫権の下へと駆け寄った。
何事か耳打ちされた彼女は、壇上を降りて酒瓶を持って一人ずつ回り始めた。
酌をされた男達は舞い上がった様子で、顔が赤いのはけして酒だけのせいではない。
順に近づくその気配は、なぜか胸を強く打つ。
そっと気配を目で追うと彼女は凌統の所にいた。
何やら彼女が凌統に耳打ちして、彼は驚いた顔で彼女を見つめ声を出そうとしたのを指で押さえられていた。
何だろう?と思いつつも彼女がこちらを見たので、思わず目を逸らしてしまう。
嫌な奴と思われただろうか?急に不安になって視線がまた彼女を追った。
自分の列に彼女はいた、順にこちらへ向かっている。
前を向いて、彼女が来るのをじっと待つ。
僅か数分で気配はすぐ後ろ、酒を注ぐ音がリアルに聞こえる距離。
隣の甘寧もそわそわしている。
トンと肩を叩かれ振り向くと彼女がお酒を差し出していたので僅かだが注いでもらう。
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
あれ?今の声って。
考え込んでいると隣の甘寧に何やら彼女が囁いていたが聞こえない。
凌統と同じように驚いた顔をしているが、決定的に違ったのは青ざめて固まっているということだ。
「どうなされました甘寧殿?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
酒も注がずに彼女は前の方へ行ってしまった。
その時孫権が立ち上がり、自分の剣を彼女へ投げる。
受け取った彼女に大きな声で頼んだ。
「尚香!次は剣舞を頼むぞ!!」
「任せて兄様!」
その声はまさしく呉の姫孫尚香で。
会場は一瞬静寂に満ち。
「「え?しょ、ひ、え?えーーーーーーー!!!?」」
次いで大きな声が会場を越えて城中に響き渡った。
その時の孫権は此れが見たくてたまらなかったと
腹を抱えて大笑いをしていた。
<了>