例えそれが <下>




「じゃあ私はここから一人で戻るから、あなた達すぐに私の部屋へ来て頂戴」
「ここから・・・って、ここから!?」
「そうよ、ここから」
そう言いながら尚香が指差すのは彼女の倍の高さはあるであろう塀。
「平気よ、中に入ったら木をつたって降りるし」
呆けた男二人を前にけろっとしてるのは当の本人だけで。
「危ないですって!」
「平気だってば、慣れてるんだから」
「慣れてるって言ったって・・・慣れてる!?」
「あ!・・・と、とにかく先に戻ってるからね!」
凌統の制止も聞かず、尚香はさっと足場を見つけて昇って行ってしまった。
落ちないかどうか心配で、でも声を出すと余計に危ない気がしたので
そのまま後ろ姿を見つめるだけで終わってしまう。
そんな心配を余所にさっさと上まで登った尚香は姿を消してしまった。
とりあえずほっとして自分達も城へと戻る。
勿論彼等は正門から堂々と。
回廊を進み行く凌統の後を甘寧は間を置いて追いかけた。
立派な部屋の前には侍女がいたが、彼等を見ると無言で去って行った。
どうやら尚香から言われているらしい。
「失礼しますよー」
「ちょっと待って!」
戸惑った声に手を離してしまう。
開けかけた扉の隙間から見えたのは雪の様に白い肌。
慌てて扉を閉めたが脳裏に焼きついたヴィジョンは簡単には消えそうにない。
程無くして内側から扉は開き、中から少し赤い顔の姫君が現れた。
城下にいた時の服装は誰かのお下がりらしく簡素な作りであったが、今はきちんと彼女の普段着に袖を通している。
「・・・どうぞ」
声も何となく照れている感じで、気にしないように思っていたが余計気にする事になってしまった。
「あの、そんなに見てないですから!」
慰めようと思って言った筈の一言は、何故か軽く殴られて返される。
尚香に言わせれば、「そんな事はわざわざ言わなくて良いの!」という事らしい。
席に通された二人の前にお茶を運び終えてから彼女も座る。
「で、何でここまで俺等を呼んだ?」
茶を一口飲んで、甘寧は目の前の尚香に問い掛けた。
問われた彼女はきょとんとして、わからないの?と小首を傾げる。
「決まってるじゃない、子明に怒られるのにわざわざ分けて怒られる事は無いでしょう」
「・・・同感」
凌統が尚香に同意すると、やっと自分もその中にいる事に気づく。
「公績と同罪だって、興覇は気づいてなかったの?」
「ってか、もう字で呼ぶのかよ?」
「嫌?」
上目遣いに尋ねられて、思わずその可愛さにうっと呻いてしまった。
「嫌じゃねぇけど」
なら良いじゃないとにっこり微笑まれては返す言葉も無い。
「それより姫」
「それよりって何だよそれよりって」
甘寧の言葉を無視して凌統は尚香から視線を逸らさない。
「・・・来たみたいですよ」
凌統の言葉に耳を澄ます、足音が真っ直ぐ此処に向かっているのが分かった。
表情を引き攣らせて「来ちゃったわね」と呟く。
そして二人で溜め息をつくのだ。
「何が来たっ」
「姫ーーー!!」
甘寧の言葉を途中で切って、勢いよく開かれた扉からずかずかと入って来たのは、
二人の溜め息の原因である呂蒙であった。
「あら子明、早いじゃない?」
「あら子明、じゃないですぞ!一体何をお考えでありますか!?」
「行き成り怒らないでよ、私だって色々」
「色々、何ですか」
「そりゃ・・・色々」
段々声が小さくなっていく尚香が何だか可哀想に見えてくる。
が、そんな事を言ってられないのはこの後に自分達の説教も待っているから。
「まったく、あの後大変だったのですぞ」
「大変って?」
「民達が姫にお礼をしたいと申しましてな、しかし姫だと教えるわけにもいかず、俺の知り合いとだけ
 教えましたら、この通りです」
そう言って指を指す庭先には、荷車いっぱいに詰まれた品々。
見れば農作物やお酒も入っている。
「そんなに大した事じゃねぇ・・・じゃん?」
甘寧の言葉は呂蒙の一瞥で小さく消えていく。
「別にこれが重たかったから怒っているわけではないですぞ」
「じゃあ、人を助けるのが悪い事なの?」
尚香の声が少し涙じみているのは気のせいではない。
「悪事を行う者を成敗するのは良い事です。ですが、姫がやる事ではありません」
「でも、あの場合は!」
「姫が怪我をなさったら、どうなさるのですか?」
「怪我ぐらい構わないわよ!あのまま黙って傍観するぐらいなら死んだ方がましだわ!」
「自分の立場をお考え下さい!大体、あの場にいる事自体間違っておられるのです!」
黙ってしまった尚香の肩は震えていて、少し強く言い過ぎたかと思い始めた呂蒙は
男達の非難がましい視線を受けて頬を人差し指で掻いた。
「その、解って頂きたいのは・・・姫が大事な人だから、怪我をされては困る、というか何というか」
「呂蒙殿、聞こえない」
「うるさい凌統、黙ってろ」
「へいへい」
「とにかく怪我をして欲しくないのです」
「じゃあ怪我をしなければ良いのね!」
先程の雰囲気とは打って変わって、にこりと笑う彼女。
返事をする間も無く。
「ありがとう子明!」
と抱きつかれてしまった。
こうなっては説教の意味もなく、ただ彼が諦めるしかない。
はぁぁぁと心の中だけで盛大に溜め息をついて、抱きつく尚香に香炉を一つ差し出した。
薄い桃色の桜が彫られた香炉。
「これ?」
「姫が助けた老婆が当初自分の宝をお礼にと渡してきたのですが、その、こちらの方が姫には似合うと思いましてな」
高価な物ではないが、なぜかこちらの方が相応しいと思ったのだと照れながら漏らす呂蒙に、
極上の笑みを浮かべたお返しが、彼の頬へと振舞われたのだった。




例えそれが  誰でも手に入れられるものだとしても



くれたあなたの優しさで



私の心は十分に潤えるのだ





<了>

終わった、尚香総受け長編終わったよ〜!
格好良い尚香を書きたくて始めた話でしたが、なんか最後は呂尚で終わってますね。
とりあえず甘寧と尚香の出会いを書けたからよかったよかった。
それにしてもみんな姫には弱いですね(笑)
あ、ちなみにこの後凌統と甘寧はもちろん怒られますよ(笑)