緋色の祝福




雪が降りそうな程の寒さの中、駆ける馬の背に厚い布に
包まった二つの人影が見える。
手綱を握るのは男で、もう一人はその男に寄り添う女。
男の名は馬超、字を孟起。
女の名は孫尚香、蜀の主である劉備の妻である。
まだ辺りは暗く、人の姿など見る事もない。
そんな中を二人はある場所へ向かっていた。
この日、この暗い時間に出ないと間に合わないあるものを見る為に。
馬超の腕の中、闇の中でも輝く翡翠の瞳はずっと閉じられたまま。
寝ているわけでも気絶しているわけでもなく、
ただ目を瞑って彼の心音を聴くかの様にしている。
余りに大人し過ぎて馬超は視線と質問を送った。
「本当に断りを入れてきたんだろうな?」
「ちゃんと入れて来たわよ!」
閉じられていた瞳が一気に開く。
どうやら彼の心配は杞憂に終わったらしい。
少しだけ上を向く形に顔を動かして尚香は彼の顔を仰ぎ見た。
「それに、どうせ今頃酔い潰れて寝てるわ」
昨晩からずっと、年が明けてからも義兄弟達と共に呑んでいた劉備には
馬超と出掛けると言ってある。
好きにして良いと言われた後に付け足されたのは「楽しんでおいで」の一言だった。
夫婦とは違う、親子の様な愛情のかけられ方は正直ありがたい。
だって、私は・・・。


「どうした?」
「え?」
「呆けてたぞ、心配事でもあるのか?」
「ううん、そうじゃないの」
馬超の胸に擦り寄って、再び目を閉じた。
「ただ、あなたと一緒に居られて幸せだなって」
「・・・そうか」
素っ気無い言葉ではあったが、嬉しさを含んであるのは十分にわかったので小さく微笑んだ。
「ねぇ孟起、あとどれぐらい?」
「そろそろだ、寝るなよ」
「寝ないわよ!」
もう!と怒った様に小さく彼の胸を叩くと、
頭の上からくつくつと笑う声が僅かに聞こえた。
その声にほんの少し頬を膨らませる仕草をしたが、すぐに解けて自分も笑う。
この二人が向かっているのは海が臨める高い丘。
本当は海そのものに尚香は行きたがったのだが、流石に遠すぎて行けない為
遠くからでも目当てのものが見える丘を目指していた。
初めは海には行けない事に彼女は残念そうな顔をしたが、それでも馬超と一緒に出かけられる事で
笑顔を戻す。
「もうすぐ見れるのね」
「あぁ、時間も丁度良いだろう」
尚香の言葉に小さく頷きながら手綱を緩めた。
速度が落ちて小気味良くたかたかと歩いたと思ったらそのまま止まる。
「・・・着いた?」
「その目で見てみろ」
再度開けられた瞳に映るのは水平線が微かに赤く染まり始めた景色。
馬から飛び降りて、丘のギリギリの所まで進む。
「孟起!早く早く!!」
子供が急かすような声で呼ぶ姿に笑みを漏らして自身も馬から下りた。
近くの木に馬を繋いで尚香の後ろに立つ。
被っていた厚布で尚香の体ごと抱きしめた。
「お前が急いでも変わらんだろう?」
「気持ちの問題よ。でも間に合って良かった」
「俺がヘマなんぞするか」
「あ、生意気〜」
馬超の顔を見上げながらくすくすと笑い声を上げる。
「ほら、お待ちかねのものが出てきたぞ」
馬超の声に尚香は水平線に視線を戻す。
遠いのに手が届きそうな錯覚を覚える太陽が顔を覗かせ始めた。
「・・・・・・」
声にならない程の感動が尚香の胸に溢れる。
「見れた、んだね・・・孟起と初日の出」
自分の前に回されている馬超の腕に自分の腕をぎゅっと絡ませた。
「尚香?」
「やだなぁ、何で涙が出てくるんだろう」
泣くつもりなんかなかったのにと苦笑した空気が伝わる。
「孟起、ありがとう」
昇り続ける太陽を見つめながら尚香は笑顔を浮かべた。
「付き合ってくれて・・・側に居てくれてありがとう」
優しい声色に馬超は笑みと同時に小さく溜め息をつく。
「・・・本当に、何時も先手を取られてばかりだな」
「孟起?」
「お前は俺が言いたかった事を先に言ってしまう」
たまにはこちらが先手を取ってみたいと願った想いは彼女が簡単に奪って行った。
不快ではないけれど、少し残念だと思ったのは事実で。
こんな時は言葉よりも自分に適した行動を起こすのみ。
「後手になってしまったが」
尚香の顎に手を掛け自分の方へ傾ける。
「ずっと側に居ろよ」
彼女の翡翠の瞳が大きく開かれた瞬間に唇を重ねた。



辺りは綺麗な緋色で染まり、新しい年と共に

二人を祝福しているかの様だった


<了>
アンケでも1番人気だった馬超をお相手に正月用小話書きました。
フリーは終了しました。