赤々と




戦が近いこの頃、鍛錬場はいつも人が居る。
今の時間は凌統が自分の部隊の兵達を指導していた。
前の時間は尚香の部隊が行い、終わった後も彼女は残って見学に興じている。
兵達に手解きや叱咤する声は聞こえてくるけれど、彼自身が鍛錬している様子は一切ない。
予定の時間を終えて、終了の声がかかると凌統を慕う兵が数名彼を囲む。
「凌将軍、今度の戦でもまた武勇をお見せ下さい!」
「何だよいきなり」
「将軍は、もっと名を轟かせられる人だと信じております故」
「そりゃどーも」
目を輝かせて期待の言葉をかける兵士に軽く答えて遠く空を見上げる。
「生憎、あまり熱くなれない質なんでね。期待しないでくれ」
怪我もしたくないしなと誰かに言ってたその言葉に、心中で嘘吐きと異論を唱えた。
私は知っている、あなたがそう軽く笑んでいるその裏で誰よりも強くなろうとしている事を。
その為の努力も。
振り向いて視線を送ると気づいた彼が気まずそうに頬を掻く。
口の形だけで「嘘吐き」と作ると、益々困った様に苦笑した。
「誰にも言わないわよ」と微笑んで踵を返す私の背中に刺さる視線が熱い。
後ろで「凌将軍?」と彼を心配する声が聞こえてきたが、そのままその場を立ち去る。
きっと私の表情は緩んでいるだろう。
彼の直属の部下さえ知らない彼の本性を知っている優越感と
努力家の彼を自慢したいのに出来ない心の葛藤を楽しんでさえいるのだから。



夜も更けてくると誰も居ないはず鍛錬場へ向かう人影がある。
しかしこの人物は知っていた。
この時間にこそ、目当ての人が居る事を。
ガキィンと金属のぶつかり合う音が聞こえる。
今日は誰かと一緒に居るらしい。
「この音からすると・・・子明、ね」
呟きながら歩みを進めると徐々に輪郭がぼやけて見えて来た。
鍛錬場に僅かに燈る燭が打ち合う二人の姿を浮かび上がらせる。
二人の姿をその目に見とめて、やっぱりと小さく漏らした。
ある程度まで近づくと目も暗がりに慣れて、燭の明かりだけでもよく見える。
向こうからもこちらを確認出来た様だった。
「精が出るわね」
「姫も鍛錬ですかな?」
「そう思ったけど、今日は良いわ。見学だけさせてもらうわね」
構いませぬと言ったが最後とばかりに、彼らの打ち合いは激しさを増す。
今では軍師としての役割が前に出てきてはいるが、呂蒙は元々武に長ける猛将。
鍛錬とはいえ殺気に近い空気がピリピリと纏っていて、正直言って怖い程だ。
そんな呂蒙と必死に打ち合う彼の真剣な表情が火影で鮮やかに浮かぶ。
炎の様だと呟いた声は自分だけが聞いていた。
普段人に見せる顔は燻るだけの小さな火の粉程度。
しかし今の彼はまるで天へと昇る真っ赤な炎。
これこそが彼の本性だと知っているはずなのに、また思い知らされる。
打ち合う音が微妙に変わってきたと思ったら、一瞬の隙を見抜いた
呂蒙が背後に回り背を打ちつける。
「公績!」
倒れた凌統の側に駆け寄った。
「討ち取ったり・・・だな」
「あ〜あ、また取れなかった」
悔しさからか痛みからか、顔を歪ませて凌統が立ち上がる。
「腕は確実に上がっている、余り焦らない事だな」
余裕に見える呂蒙も汗だくで、彼の言葉に嘘はないと感じた。
「わかってるつもりなんですけどね、少しでも早く極めたいって言うか」
「焦って極められるわけがなかろう、日々鍛える事で身になるのだ」
「・・・はい」
「うむ、俺はこれで失礼する。姫、凌統の手当てをお願いできますかな?」
「わかってるわ。ありがとう子明」
尚香に向かって軽く会釈をし、凌統に目線を送って呂蒙は退場した。
残された二人はさて、といった風に向かい合う。
「いつも無様な所を見せてすいません」
「無様だなんて思った事はないわよ」
「そう、ですか?」
「そうよ」
はっきりと紡がれた言葉は凌統を安心させる。
「それより、湯浴みしてきなさい。手当てはその後よ」
「うあ〜沁みそう」
「沁みるでしょうね、でも塗ってから湯浴みしたって意味ないんだから」
渋々湯殿に向かって行った凌統を見送って、尚香は彼の部屋へと向かう。
整頓された部屋の棚から慣れた手つきで薬箱を取り出し中身を確認した。
この薬箱は彼女が最近持ち込んだ物で、補充もしっかりするようにしてある。
「そろそろ、新しいの入れておかなきゃ・・・あ、これもだ」
なんて言いながら薬の入った瓶や包帯を取り出す。
テキパキと用意を整える終わると、彼が戻るまで手持ち無沙汰。
夜に人の部屋で暴れるわけにもいかないし、とりあえず寝台に腰を下ろす。
目を瞑って神経を研ぎ澄ませると、遠くから少し足早の気配が向かって来るのがわかった。
急がなくても良いのに、と思いながらも微笑んでしまう。
もう少し、後七歩。
三、二、一。
扉が開く瞬間に瞼を上げた。
「おかえり」
「ただいま、です」
照れた様に笑う凌統を迎えるのは、幸せだといつも思う。
寝台に彼を腰掛けさせて気づく。
「髪、ちゃんと拭いてないわね」
長い髪を伝って雫が落ちて、夜着に染みを作っている。
凌統が言い訳する前に手近な布を取って髪を拭き始めた。
「急がなくても良かったのに」
「待たせちゃ悪いですから」
「風邪ひいたら元も子もないわよ」
「そしたら姫に暖めてもらうし」
少年の様な表情で言うものだから、彼の言葉は冗談か本気かわからない。
それでも自分の頬が赤くなり始めたのがわかったから、気づかれない様に布で顔まで覆ってやった。
「前が見えない」
「良いの!」
それが彼女の照れ隠しだという事は気づいている。
彼女も彼が気づいている事を知っている。
そんな何気ないやり取りが好きなのだ。
「・・・公績?」
「あ、はい」
「もしかして眠い?」
何も言わなくなった凌統を不思議に思って顔を覗き込むと、眠そうな表情が伺えた。
「寝ても構わないわよ」
「いや、そういうわけには」
「大丈夫よ、終わったら起こすし」
少し考えてから、じゃあお言葉に甘えてと言いながら大人しく目を瞑った。
程無く小さく寝息が聞こえて、尚香は思わず綻ぶ様に微笑む。
鍛錬中などに見せるあの真摯な表情と、今見せている子供の様な寝顔。
「どっちの公績も」
好きよと心の中で呟く。
戦などこのまま来ないでほしい。
彼は炎だ。
燃え尽きる程に熱くなる。
そう、赤々と焔の様に燃えるのだ。
炎は何処まで燃え続けられるのだろう?
燃え尽きる時はどうなるのだろう?
私はその時が来るのが怖い。


「あんまり・・・無理しないで」


零れた滴でその火が消えるとは思ってないけれど

せめて、祈る事だけはさせて欲しい

燃え尽きる時は、私も共に、と



<了>