流るる如く
彼の者を例えるならば。
波の様だと誰かが言った。
いや、氷の様だと別の者が言う。
聞いていた彼女の見解は、どちらも正解でどちらも外れ。
動きがあるか、冷えて凍ったかの違いだけだけど、それでも大きく違うと断言できる。
だってどちらも元は水。
そう、彼は水そのもの。
全てに当てはまり、全てに当てはまらない。
「そうでしょう?」
不敵な笑みを浮かべて言えば、問い掛けられた本人は言葉に困って苦笑で返す。
「みんな伯言の事あまりわかってないのね」
「・・・そうかもしれませんね」
「今の間は何よ?」
「いえ、人によって印象なんて変わるものですから」
「それは、そうかもしれないけど」
あなたの印象を私以上に例えられる人なんて居ないわよ?と勝気な目線と共に
訴えれば、爽やかな笑顔で「もちろんですよ」と返された。
そんな風に上手く流れを作るところも、水だと思う。
でもね、私は簡単に流されてなんてあげないから。
「最近軍議ばかりで疲れるでしょう?」
わざと違う話題に摩り替え、彼の表情を伺う。
「えぇ、戦がすぐ始まりますから」
返って来た言葉と視線は穏やかで、中々手強いと内心舌を出す。
「もうすぐ、か」
「はい、大きい戦ではありませんが、出来得る限りの事はしないと」
「そんなに難くならなくても大丈夫よ、あなたなら出来るわ」
そうでしょうか?と不安げな瞳で見つめられ、尚香は思わず口走っていた。
「私に出来る事は何でもしてあげる!」
「では、勝利祈願の口付けを」
「へ?」
「お願いしますね」
にっこりと微笑まれて、反論する言葉も出る間も無く。
あっという間に唇は奪われて、
「あぁ、私の方から貰いに行ってしまいました」
なんて言うものだから、思わず呆けてしまった。
「尚香様からの口付けは次回へ持ち越しという事で」
「っじ、じ、じか」
次回なんてない!と頭の中では叫んでいるのに、声にはならなくて。
行動も思考も彼に流されるままで。
気づいた時には彼の背中は遠くに小さく見えるだけ。
その背中に向かって大声をぶつけたい所ではあったけど、何人かの人影が目に入り
嫌がおうにも飲み込んだ。
・・・心の中では思い切り悪口を叫んでいたけれど。
「だから、あいつは氷だよ氷!」
「・・・またその話?」
つい先日もこの話をしていて、それで酷い目に合ったので
発言した甘寧に向かって嫌な顔をした。
「だってよぉ、こいつが波だって言うから」
こいつと指差された凌統が、その指を払い除ける。
「まぁ、氷っぽいところは結構あるかも」
「だろ?」
「でもねぇ、波っぽいところもあるしね」
「そうでしょう?」
「だから、どっちも正解だけど外れでもあるのよ」
「「えー?」」
揃った声に仲が良いのか悪いのかと噴出す。
軍議が終わった後にこうして三人で話す事は間々あって、最近の話題は
次の戦で指揮を取る事になった陸遜の事についてがもっぱらである。
「氷も波も冷たい印象ではあるわよね」
「そりゃそうだろう」
尚香の言葉に返事をした甘寧に同調する様に凌統は頷く。
「伯言ってそんなに冷たいの?」
「冷たいって言うか、何つーの?異様に怖い」
甘寧が、笑った顔が怖いんだよ、笑ってるはずの目は笑ってなくて
氷にしか見えねぇ!と訴えれば、凌統が
奴は波だ、小さいと思って油断したら足を取られて上から飲み込まれちまうと言う。
この二人、案外まともに見ているかもしれないと思った。
しかし、陸遜について語るなら自分以上の人なんてという自負もある。
「彼は水よ」
「「水?」」
またもはもった声に笑ってしまう。
腹を抱えて笑っている尚香を目にして、二人は顔を合わせたがすぐに反対方向へ
そっぽを向いた。
「あなた達、仲が良いのねぇ」
「冗談じゃねぇ!」「冗談じゃない!」
揃って尚香を見た彼らは、苦々しげな顔をしてお互いを見合った。
「だぁー!もうこの話はなし!」
甘寧が嫌そうに叫んでその場を後にした。
凌統も失礼しますと告げて甘寧とは反対方向へ歩いて行く。
二人を見送り、尚香もその場から離れようとすると
後ろから声を掛けられた。
振り返ると会いたかった様で会いたくなかった人物。
まったく何処から現れたのか疑問が残る。
「・・・何だか難しい顔をされていますね?」
「そ、そう?」
「先程、私の話をしていた様ですが?」
「え?あ、あぁ、うん」
あれを聞かれていたのかと思うと、この後が少々怖い。
「大した事は話してないわよ」
「そうですか?」
「そうそう」
これで違う方向へ話を持って行けばと胸中で安堵した尚香に
陸遜はでも、と前置きをする。
「一つ、忘れている様ですが」
何?と首を傾げると、どこまでも深い笑顔を漏らして言った。
「水だって、熱くなれるんですよ」
あなたを溶かしてしまうぐらいには、ね。
と耳元で囁かれて、尚香の顔は赤く染まった。
「しっかり聞いてたんじゃない!」
「もちろんです」
本当はあなたを攫って他の男の目に入らない所へ隠してしまいたい
位なんですから、と微笑む彼に敵う術はない。
<了>