駆け抜ける




伝令から伝えられた。
今こそ好機だと。
周りの兵達を鼓舞し、攻めへの体勢を取る。
そんな時、同じ左翼に居た甘寧の部隊が動き出したのが目に入った。
初めはゆっくりに見えたのに、その動きは徐々に早さを増していく。
自分の部隊も前へ進んでいるはずなのに追いつけない。
まるで風の様だと思った。
嵐にも似た一陣の強い風。
その先陣を切って駆け抜ける男。
いかなる障害をも切り崩すその姿。
圧巻だと思いながら、安心していた。
彼が居るのなら、この国はもっと強くなる。
そしてそんな彼に、負けたくないとも思った。



「さすがね、興覇」
「あん?何がだよ」
此度の戦が終了して、すぐに甘寧の側に駆け寄ると開口一番にそう伝える。
言われた方は何を褒められたのかわからなくて首を傾げた。
「特に目立った覚えはないぜ?」
「それはそうなんだけど、私が褒めたいから褒めたのよ。・・・悪い?」
「いや、悪くねぇけど」
腰に手をあてて、前屈みになると困った様に彼が笑う。
折角褒めてもらってるのに機嫌を損ねたら、意味もなく怒られてしまう。
それだけは避けなければならないと普段からの慣れで知っていた。
「姫さんも中々戦い方が上手くなったんじゃねぇの?」
「・・・まだまだよ」
あなたに比べたらと出かけた言葉は飲み込み。
「もっと強くならないと」
代わりに出た言葉は余りに陳腐だった。
それでもそれは本音でもあるから、嘘は言っていない。
「あんまり気張るな」
そう言いながら頭を撫でられた。
子供扱いとは不思議と思わない。
表情が思いつめてたんだと、心の何処かでわかっていた。
無意識の内に拳を握っていて、それに気づいたのは自分じゃなくて。
それを気遣う彼の大人の部分も知っている。
「・・・ありがとう」
小さなお礼は聞こえて欲しい様な聞こえて欲しくない様な微妙な大きさで。
素直になりきれない自分が少し恥ずかしかった。
何とか視線を合わせれば、からりと笑う彼が居て。
あ、やっぱり聞こえちゃったと思いながら、聞こえてくれた事に感謝した。
「興覇は、風みたい」
「風ぇ?」
話題を逸らしたくて、頭の中に浮かんだ言葉をそのまま伝えると素っ頓狂な声が返って来た。
「そう、風よ」
言われた彼は先程と同じように首を傾げたけれど。
私と同じ意見を持つ人は結構居ると思う。
「俺は元々水賊だぞ、どうせなら水とか波とかに例えてくれよ」
「無理よ。だって風としか思えないんだもん」
「わっかんねぇ」
俺の何処が風なんだよ?と目で訴えかけられて、小さく笑ってしまった。
「わからないのならわからなくても良いの。でも、羨ましいなと思う」
風ならきっと何処へでも行ける。
自由に、自在に、己在るがままに。
そして自分以外の者達もいつの間にか巻き込む事さえあって。
それが心地良いとさえ思わせるのだ。
「風になりたいな」
本当は違う、風になりたいのではなく。
風と生きたい。
この想いが届く事はあるのだろうか?
「姫さんならなれるさ」
「意味もわからないのに?」
「・・・なろうと思えば何にでもなれるってのが俺の身上だ」
誤魔化す様に目を泳がす彼に溜め息をつく。
「・・・そういう事にしといてあげる」
「まぁ、何だ、その」
「何?」
いつになく歯切れの悪い甘寧に視線を送る。
「俺が姫さんを連れてってやるよ・・・何処にでも」
俺は風なんだろ?と問い掛ける勝気な瞳が優しかった。
この人は心の何処かで私の隠れた部分に気づいてる。
そしてその陰の部分を簡単に取り払ってしまうのだ。
やっぱり風だと心中で零して、目の前の男に微笑む。
「その時はよろしく」
「おう!」





夜も更けて、眠りに付いた頃。
「夜襲だーーー!!」
突然警鐘の鐘と共に聞こえた大声に、飛び起きて外へ出る。
目に入ってきたのは呉の陣地で上がる火の手。
「何が起きたの!?」
近くに居た兵達は動揺の色が色濃く現れているものの、何とか「残党の仕業です」と返す。
身を翻して幕舎の中へと戻り、戦いの準備を始めた。
まだ被害はそれほどでもない、ならば打って出るのみ。
「敵は少数、我々で抑えますのでお逃げ」
配下兵士の声は尚香本人の言葉で遮られる。
「あなた達は怪我人の救護に入りなさい」
「姫様!?」
「私が出るわ」
兵が止めるのも聞かずに、武器の具合を確認する様に振った。
「よう、さすがだな弓腰姫」
「戦闘前に馬鹿な事言ってんじゃないわよ」
「悪ぃ悪ぃ」
鈴の音がすぐ側にあるけれど、あえて振り向かない。
「・・・一緒に来いよ」
隣に立った男は前を見据えて言う。
「途中で忘れられそうで怖いんだけど」
「ばーか、置いて行くかよ」
ほら、と差し出された手と甘寧の顔を交互に見る。
小さく呼吸して不適に笑って言ってやった。
「置いて行ったら承知しないわよ」
「了解」
その手を取って走り出す。
すぐ側で聞こえる鈴の音が心地良い。
さぁ、目指すは敵兵。


風が一陣駆け抜ける



<了>