酒飲恐癖しゅいんきょうへき



孫呉という国は宴が多い。
ちょっとした事でも飲めや歌えやの騒ぎとなる。
今夜もそれは例に漏れなくて、小さいながらも宴が開かれた。
さすがに一般兵などは参加できないごく少人数での開催ではあるが。
「よーし、みんな飲んでくれ!」
孫策の掛け声に高々と杯を掲げて思い思いに飲み始める。
孫家の末姫である尚香もいつもと違うゆったりとした衣装を纏って参加していた。
お酌をして回る彼女が立ったり座ったりする度に、甘く爽やかな
彼女らしい香りが広がる。
とりあえず一回りした所で甘寧に呼び止められて隣に腰を下ろした。
「なぁに?」
「注いでばかりで疲れんだろ?たまにはされる方も良いかと思ってよ」
ほら、と小さな杯を渡されてそのまま断る暇もなく注がれる。
じっと杯の中身を見つめていると、甘寧にからかわれた。
「姫さんって酒飲めないのか?」
「飲める、けど。兄様に飲んじゃ駄目って言われてるんだもの」
「それくらいで酔うわけでもないだろうし、良いんじゃねぇの?
 うるさい方の兄貴はいねぇしよ」
「でも、策兄様もみんなと一緒の時は飲んじゃいけないって」
上座の方に視線を向けると呂蒙と一緒に楽しそうに酒を酌み交わす孫策の姿が見えた。
その左右の席に座るはずの孫権と周瑜は用事があるとかでまだ来ていない。
周りは談笑したり、酒を注ぎあったりと楽しそうで自分だけが飲めないのは寂しささえ覚える。
「飲んじゃおうかな?」
「よっしゃ、飲め飲め」
思わず漏れた一言に甘寧は笑って返事した。
グイっと一口で飲み干すと、自然と美味しいと口に出る。
だろ?とばかりに笑む甘寧に笑い返そうとした処に、間に割るようにして凌統が座り込んだ。
「ってめ!」
甘寧の抗議の声には耳も貸さず、尚香の方を向いてにっこり微笑んだ。
「姫って酒飲めたんですね?」
知らなかったなと話しかけるが、返事が返って来ない。
不思議に思って尚香の顔を覗き込もうとした瞬間に、信じられない出来事が起きた。
公衆の面前で、いきなり尚香が凌統に抱きついたのだ。
「ひ、姫!?」
ほっそりとした腕が両方とも首に回され、甘えるような声で「公績」と呼ぶ。
辺りが異様な空気を醸したことに孫策も気づいて大声を上げた。
「みんな尚香から離れろーーー!!」
その声の余りの大きさに尚香の側に居た武将や宦官は波が引くように
その場から離れた・・・凌統と、二人を引き剥がそうと必死の甘寧を除いて。
固まって動かない凌統を余所に、潤んだ瞳で徐々に顔を近づける尚香。
唇が触れる!と思った瞬間に、尚香の顔半分を覆うようにして
それを阻止したのは孫策だった。
あの距離をこんな短時間でよく来れたものだと感心する暇もなく、そのまま強引に引き剥がされる。
「やだぁ」
子供のような仕草で凌統に腕を伸ばす尚香を抱きかかえてその場に腰を下ろす。
「尚香、酒は飲んじゃ駄目だっつったろ?」
説教程ではないが、注意をする孫策に周りから問いの声が上がる。
「と、殿、なぜ姫が酒を飲んだとわかったのですか?」
「ん?あぁ、尚香は酒を飲むと・・・」
途切れた言葉よりも、孫策と唇を合わせる尚香にその場の全員が仰天した。
「ひ、姫ーーー!!?」
「・・・こうなるんだよ」
これだから知られたくなかったんだ、とぼやく孫策を置いて、尚香の目は次の獲物を探し始める。
目が合ったのは甘寧で、にこ〜っと微笑まれて思わずにへ〜と笑ってしまった。
だが孫策が制止するように尚香の視線を手で遮る。
「駄目だって尚香、今日は俺だけな」
「えぇ?」
「約束守らなかったんだろ?だから駄目だ」
守るも何も酒を飲まないのが約束なのだから、約束を守っていたところで関係ない。
只この悪癖だかわからないような癖を他者に知られたくなかったのが本当のところだ。
「あぁ、それから凌統」
「はい?」
「俺に感謝しとけよ、あのままだったらお前・・・死んでたぞ」
ニヤリと口角を上げて、尚香を抱き上げて去って行く孫策の言葉に
ハっとして火計魔がいる方向をさりげなく見てみると、
護身用のはずの短刀をこれ見よがしに振っている陸遜の姿を捉えた。
「・・・や、やばかった」
だが尚香との口付けと天秤にかけたなら・・・惜しかったのも事実。
もったいなかったとぼやく凌統の横で、ほくそ笑む甘寧の姿があったが誰も気づかなかった。


上座の自分の席にどっかりと座り込むと、抱えていた尚香が猫のように擦り寄る。
周りからは羨望の眼差しが集められ、孫策はやっかいなことになったなと心中で零す。
そこへ用事を終えた孫権と周瑜が宴の席へと着いた。
人前でここまで甘えることのない尚香が孫策にべったりなのを見て孫権は眉根を寄せる。
「兄上、まさか尚香は?」
「あ、あぁ・・・飲んじまった」
反対側の席からは「やはりそうか」と呆れたような声が返って来た。
「別に俺が飲ませたんじゃねぇぞ、気づいたら飲んでたんだ」
「・・・誰かやられたか?」
「凌統が危なかったけどな、寸止め出来た」
「そうか」
ほっとした呼吸の取り方が左右両方から聞こえて孫策は苦笑する。
「おいで尚香」
手を広げて呼ぶ孫権にパっと反応する尚香の腕を捕まえる。
「今日は俺だけだって言ったろ?」
「兄上、幾らなんでもそれはずるすぎるのでは?」
怒声の混じった声に便乗するように周瑜も頷いた。
「独り占め、というのはいただけないな孫策」
「何だよ周瑜まで」
視線が周瑜に移った隙に尚香は孫策を離れて孫権の膝の上へと移る。
咄嗟の行動で繋ぎ止めるのが間に合わなかった。
「権!尚香返せ!!」
「自分から私の所へ来たのですから、返せと言われましても」
口調は穏やかなようだが、秘められている思いは絶対返さない!と言い切っているので、
孫策は余計に躍起になった。
「尚香!戻って来い!!」
「いや、姫は我が元へ」
「周瑜!!」
孫策と周瑜が言い合いを続けている所で、孫権と尚香は口付けを交わす。
「「あー!」」
抗議の声が重なって煩かったが気にせず尚香はそのまま孫権の膝の上で満足そうに微笑んだ。
その後数刻、この三つ巴合戦が続いたのは言うまでも無い。


翌日城下の酒屋で鉢合わせした凌統と甘寧は、お互いの考えている事が手に取るように
わかって牽制し合う。
とにかく先に手に入れるべきものを!と意気込んで
「「親父!水みたいな酒をくれ!」」
言いたい事まで重なって火花を散らせるが、思わぬ言葉にそれは違う者へと移る。
「すまないが、お前さん達が言う水みたいな酒は売り切れていてね」
「はぁ!?」
「酒好きには意味のなさない程度の代物なのに、全部買い占めて行った方が居るんだよ」
「それ誰だかわかるか?」
あー・・・としばし考えて、ぽんと手を打つと
「年若い軍師殿だったな、名は確か」
「「陸遜だ!!」」
「おー!その人だ」
喜ぶ酒屋の店主を置いて、二人は駆け出す。
「ちっくしょー!陸遜の野郎!!」
「あいつが一番やっかいなのを忘れてたぜ」
揃って城門を潜った所で目当ての人物を発見した。
「陸遜!!」
「あぁ、早かったですね」
「早かったですね、じゃねぇよ!お前が一番早いくせして」
「しかも買い占めるなんてどういうわけだ!?」
突っかかる二人の青年を軽く鼻で笑う。
「嫌ですね、あなた方のような方達から尚香様を守る為じゃないですか」
「何だとぉ!」
「喧嘩してるの?」
胸倉を掴む甘寧の後方から、気だるそうな声が聞こえて三人は一斉にそっちを見る。
そこには三人の意中、否、他諸々の人物達が愛する姫君の姿があった。
「しかも公績と興覇じゃないなんて珍しいわね」
「だってこいつが!」
「あーっと、あんまり大きな声出さないで・・・何か頭痛いのよ」
「それって二日酔いじゃ?」
「そう、なの?」
「はぁ、多分。もしかして酒を飲んだのも覚えてないんですか?」
うーん、と考え込んで、全然覚えてないと苦笑する。
「とにかく、これが二日酔いだって言うならしばらくは飲まない事にするわ」
こんなんじゃ鍛錬も出来ないと、拗ねる彼女はそのまま自室へと戻って行った。
「・・・だってよ陸遜、残念だったな」
人の悪い笑みを浮かべて先程まで喧嘩腰だった相手の肩を叩く。
「言った筈です、私は尚香様を守る為にしたのだと」
「そうだったな、はは、そういう事にしといてやるよ」
これで一安心だと笑いながら去る甘寧と凌統の背に向かって、陸遜は口角を上げた。
「しばらくは、という事でしたね。好機とは自分から作り出すものですよお二方」


孫呉の姫を巡る争いはまだまだ続きそうである。




<了>
何じゃこりゃ!?と言わないで(^^;)
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をリクエストして頂きました。リクエストされた方だけお持ち帰り可となります。