Happy Valentine's Day




離れた場所からでも黄色い女子の声はよく聞こえる。
恐らく一人一人丁寧にお礼を言いながら受け取っているんだろうと
容易に想像できた。
「・・・馬鹿みたい」
曖昧なニュアンスの声色は彼に対してなのか、自分に対してなのか。
「はぁ、教室に戻ろう」
小さく溜め息をついて振り返った折に運悪く猪突猛進の如く走る女子の一団に
ぶつかって弾かれた。
「きゃあっ!」
地面へ転がされはしなかったものの、すぐ側の錆びた塀へ叩きつけられる勢いでぶつかる。
「いった〜・・・何なのよもう」
侘びの一言もなく走り去って行く一団の背中を見つめた。
彼女達が向かう場所はきっとあそこなのだろうと思いながら服に付いた埃を払って立ち上がる。
「・・・馬鹿みたい」
再度呟いたその声は紛れもなく自分へと向けたもの。
今度こそ教室へと向かって歩いていると前方から彼女の親友の小喬が気づいて駆けて来た。
「尚香!」
始めは笑っていたその表情が、尚香の全身を見ると曇った。
「ちょっと!どうしたのそれ〜!?」
「あ、この汚れ?」
「違うよ!それもあるけど、血ぃ出てんじゃん!」
「え?」
小喬の指摘に彼女の視線を追う。
見ると膝から出血が見られた。
塀にぶつかった時に擦ったのだろう。
「あ〜・・・さっきのか」
溜め息を付いてハンカチを取り出そうとするが、小喬の一言でその手が止まる。
「ほら保健室行くよ!」
「え!?」
「消毒しないと化膿しちゃう」
「へ、平気!」
「平気じゃないって!」
綺麗な膝小僧なのに〜!と怒る彼女に半ば強引に腕を取られて、
未だ人の絶えない保健室へ連れて行かれた。
出入り口は纏まりの悪い列が出来ていて中の様子が見えない。
「はいはーい!怪我人がいるんだから通して通して!!」
「しょ、小喬!別に大丈夫だから戻ろうよ」
逆に小喬の腕を引っ張って懇願するが、駄目!と一括されて終わる。
「先生!怪我人だってば!!」
大きな怒声でやっと人込みが動く、どうやら中から保健医が出て来ようとしているらしい。
女子の群れをかき分けて出てきた人物を前に息が詰まりそうになる。
「趙・・・先生」
「怪我したんだって?」
「そうだってば!血が出てるんだから〜早く手当てしてよぉ!」
隣の小喬が此処!と指を差す。
その箇所を見つめられて顔が赤くなりそうだった。
彼は辺りを見回し一言。
「みんな教室に戻りなさい」
えー!?と抗議の声が上がる。
「折角持って来たのに〜」
「チョコは保健室に置いて行って良いから」
彼の一言に尚香の顔が曇るが、周りは気づかない。
保健室の中に次々とチョコやプレゼントが置かれ、生徒達は「食べてね〜」なんて言いながら去って行った。
「や〜〜〜っと行った」
静かになったフロアで小喬の苛立った声が響く。
「さ!入った入った」
振り返って尚香達の背中を押して保健室へ押し込んでからにんまりと笑う。
「じゃね尚香、次の授業は先生に言っとくから」
「ちょっと小喬!?」
「趙先生よろしくね〜」
バイバーイと華麗に手を振ってドアを閉めて行ってしまった。
沈黙が訪れる。
此処から逃げ出したくて堪らない。
視線を合わせられなくて、違う所ばかり見てしまう。
ふっと手を取られて優しく引かれた。
「手当てしないとな」
「い、良い!自分でやる!!」
手を振り払うが、今度は手首を掴まれる。
「良いからおいで」
今度は振り払えなくて、引かれるままについて行くしかなった。
椅子に腰を下ろして、薬品棚から消毒液などを取り出す背中を眺める。
彼が振り返った瞬間視線を逸らした。
真正面の彼専用の椅子に腰を下ろすのが足元で確認できる。
蓋を外す音やカンシにコットンを挟む音がやけに大きく響く。
「足出して」
言われた通りにスカートをずらして膝を出した。
怪我した部分にコットンを当てられる。
「・・・っ!」
「ごめん、痛かった?」
「へ、平気・・・です」
「・・・そう」
沈黙がまた訪れ、息が詰まりそうだった。
部屋に充満する甘い香りが頭に痛い。
小さく溜め息を漏らす。
「・・・どうして」
「な、何?」
「どうして、ずっと避けてるんだい?」
多分彼なりに色々考えたんだろうと思う。
言葉と、言い方を考えて。
だけど、本当なら聞いて欲しくなかった。
・・・堪えられなくなってしまうから。
「どうして、なんて聞かないでよ」
「ちゃんと言ってくれないとわからないんだ」
「そんなの、私の勝手だわ」
私は言い方なんか選べない。
言葉なんかもっと選べない。
「・・・尚香」
「良いの?誰かに聞かれても知らないわよ」
歪んだ笑顔で皮肉っぽく答えてやる。
しかし目の前の彼は真っ直ぐに彼女を見据えてもう一度呼んだ。
「尚香、ちゃんと言ってくれないか?」
言ってどうなるものではない事は知っている。
これは彼女自身の心の問題で、プレゼントを持って来たあの女子達も、
それを断れなくて受け取る子龍も悪く無い。
だから余計に自分の心の狭さが痛みになって帰って来るのだ。
自分を押さえつける事が出来なくなった彼女は、自分でも気づかない内に涙を零していた。
「っ嫌なの!子龍が私以外の人からチョコレート貰ったりするのが嫌!!」
「!」
「でも、それで嫉妬しちゃう自分が一番嫌・・・だけど、どうしたら良いのか・・・わからない」
崩れるようにして泣く尚香の肩を抱き寄せようとして、子龍は止まる。
抱きしめるだけで彼女の涙が止まるわけではない。
情けないけれど、慰める言葉の一つも浮かんで来なかった。
「・・・帰る」
止まらない涙を拭いながら尚香は立ち上がる。
「待って尚香!」
「嫌!もう・・・此処に居たくない」
逃げるように走って行ってしまった彼女の後ろ姿を、止める事さえ出来なくて。
伸ばしかけた右手は拳となって壁を叩いた。



「尚香!」
正門前で小喬に連絡し、鞄とコートを待っていた尚香は小喬の姿を見て驚く。
「小喬・・・そのかっこ」
「へっへ〜私も早退して来ちゃった」
「だって、今日は公瑾兄とデートするんじゃなかったの?」
「だから、それまで時間潰しに付き合ってよね」
にひっと悪戯っ子のような笑みを浮かべる親友の優しさに、また涙が零れた。
「ほらほら〜泣かないの」
「うん、ありがとう小喬」
「良いから良いから」
ほら行くよと腕を引っ張られるのは本日二回目となるが、今回は嫌だとは思わなかった。
引っ張られるがままに尚香の家へと向かう。
「今日は確か、誰も居ないんだったよね?」
「うん、両親は二人で長期の海外出張行っちゃってるし、策兄も権兄も遅くなるって」
「オッケー!」
何がオッケーなのかはわからなかったが、とりあえず頷く。
高級住宅地として有名な場所に、尚香の家はある。
住宅地自体がセキュリティもしっかりしていて、犯罪件数は例に見ないほど少ない。
「さ、入って」
「お邪魔しまーす」
何度も訪れている小喬は慣れた様子で尚香の後に続く。
玄関にコートと鞄を置いてから彼女の部屋に入ると定位置となった場所に腰を下ろした。
「さーて、早速だけどその兎の目の理由を聞いちゃおうか」
「・・・えっと、その」
「まぁ、何となくわかるんだけど」
「じゃあ聞かないでよ」
「一応さ、尚香の口から聞かないとね」
「・・・・・・」
「喧嘩したんでしょ?」
「喧嘩っていうか、私が勝手に怒ってるだけだもん」
何を理由に怒っているかは何となく察知が付いた小喬は、そっか〜と頷いた。
「小喬は嫌だなって思わないの?公瑾兄すごくモテるでしょ?」
「最初は嫌だ!って思ったよ〜。でもね、嫌なんだけどって正直に言ったら
 他の子に貰ったのは全部私にくれるようになったの」
「小喬に?」
「そう、だから周さんが私以外のチョコを食べる事はないわけなんだけど。やっぱり他の子がくれた
 プレゼントとか見ると嫌だな〜って思う事もあるんだ。でも、周さんの精一杯の優しさだと思うから」
それぐらい我慢しないとね。と笑った小喬の顔が印象的だった。
「尚香は、我慢しすぎたんだよ」
「そんな事ないと思うけど」
「もっと我侭言っちゃえば良いのに」
「子龍は優しいから、我侭は全部叶えてくれようとする。
 でもそれじゃ、いつかきっと私に疲れて嫌になる」
子龍に、子龍には嫌われたくない!と真っ赤になった瞳から綺麗な涙が零れ落ちた。
「・・・尚香」
「ごめんね小喬、何か今の私弱くて」
「ううん、良いんだよ」
「・・・うん」
小さな身体で抱きしめてくれる親友の優しさが嬉しかった。
弱い私ごと認めてくれる、あなたが親友で本当に良かった。


その後は何気ない会話をしながら時間を過ごす。
「尚香、鞄の中のチョコはどうするの?」
「うーん、どうしようかな」
自分の鞄からシンプルながら凝ったラッピングが施された品物を取り出して唸る。
「もったいないよ〜一生懸命作ってたじゃん!」
「だって、どうせ不味いし・・・後で捨てる」
「え〜!?」
「良いの・・・そんなに言うなら小喬にあげるわよ」
何が良いの!?と二人が押し問答をしていると、家のチャイムが鳴った。
「あ、お客さんだ」
「もしかしたら周さんかも、私出て良い?」
「うん、良いよ」
「あとこれも貰っちゃうからね」
尚香のチョコを持って、ニヤリと笑う。
「別に良いけど」
「じゃあ、ちょっと行って来る」
足早に部屋を後にした小喬の様子に、僅かな疑問を抱いたが周に会える喜びがそうさせているのだろうと
思って深くは考えなかった。
だが、尚香の手作りチョコをもしかしたら周と二人で食べるかもしれないと思った時に、
人の口に入れさせてはいけないとなぜか強く思って立ち上がる。
「小喬〜!やっぱりあのチョコ食べたら不味いか・・・ら」
階段を下りた先に居たのは、小喬ではなくて。
「不味くなんかないよ」
「な、んで子龍が?」
驚く尚香の視線の先に居たのは子龍で、小喬の姿は見えなかった。
「小喬、小喬は!?」
刹那、尚香の携帯が鳴り出す。
メールの相手は小喬、内容は「がんばれ!」の一言のみだったけれど、それで全てを悟る。
「な、何で!?」
「ちゃんと話し合った方が良いって言われてね・・・それに、これ貰ってなかったから」
手にした彼女の手作りチョコを見せた。
「だ、駄目〜!不味いんだから!!」
階段を駆け下りて子龍の手にあるチョコを箱ごと奪おうとするが、簡単に阻止される。
天井に向けて伸ばされた腕の先にある獲物を狙うが、ジャンプしても届かない。
「どうせ子龍は他にもチョコ貰ってたじゃない!そんなの食べなくても・・・」
言葉の先は、重ねられた唇が邪魔して言えなかった。
「・・・君以外のチョコはいらないんだ」
「子・・・龍」
「だから、他の子に貰ったのは全部寄付して来た」
「え!?」
「恵まれない人達の為に使って下さいって言ってね」
にこりと邪気のない笑顔を見せられて、しばし呆けてしまう。
そっと頬に当てられた指先が、目の近くをそっと擦る。
「ごめん、泣かせて」
「・・・子龍」
「好きなのは君だけだから」
優しい彼の言霊は尚香の胸に染み入るように入って行く。
ずっとささくれ立っていた心が包まれるように癒される。
また泣きたくなって彼の胸に寄りかかった。
「ごめんね、もうちょっとだけ」
「泣いてるの?」
「ちょっと、ほんのちょっとよ」
心配している彼の声に口だけで笑みの形を作る。
これは嬉し涙、だからそんなに心配しないでよ。
尚香の言葉に反応するかのように、優しい腕が背中に回る。
「好きなだけこうしていているから」
彼に包まれるこの心地良さは、離したくないと心から思う。
「あなたを好きで良かった」



今日はたくさんキスをしよう

チョコより甘く優しいキスを

飽きるぐらいにずっとずっと



<了>
バレンタイン企画のパラレル趙尚でした。
保健医などの設定はラジヲさんにお借りしたものです。