無窮なる




銅鑼の音が後方から響く。
僅かにそちらを向くと、炎が未だに天へと咆哮を続けていた。
向こうは上手くいった、次は自分達だ。
孫呉の勇将達はあちらに出払っている、だから自分達がやるのだと意気込む。
「曹操を・・・討つ!」
力を込めて鼓舞した声は、周りの兵士だけでなく自分へと向けたものでもある。
伝令によれば、曹操は橋を渡って逃げるつもりらしい。
ならばこちらは先回りする為に軍を動かす。
しかし眼前に立ち塞がった軍があった。
「此処から先は何人たりとも通すわけにはいかぬ!」
「ひ、姫、張遼です!!」
魏軍だけでなくこの国全土で猛将として名高い張遼が、刃を掲げる。
だが彼女の姿を見て張遼は一旦その刀を下げた。
その行動に尚香は眉尻を上げる。
「武人が武人を前にして、武器を下ろすなんてどういうつもり?」
「・・・女子相手に刃は向けられん」
「屈辱だわ。女だからってなめない事ね!」
利き手に持った圏を勢い良く張遼に向けた。
「一騎打ちを申し込む!」
「何?」
「ひ、姫!?」
申し込まれた張遼を含む、尚香以外の人は皆驚きを隠せない。
「どうしたの?」
私が怖いの?と挑発するような視線を向ける。
「戦わないというのなら、私が曹操を討つわよ」
両軍とも向かい合ったまま動けずに居ると、張遼が刀を構えた。
「・・・受けねばなるまいな」
曹操への忠義を示さねばならない。
「いざ仁上に・・・勝負!」
ほぼ同時に地を蹴った。
(速いっ!)
駆け出した尚香の速さに、内心舌を巻く。
圏を受け止め、力で薙ぎ払おうとしたが柄の部分に足をかけて後ろへと飛ばれた。
着地をした尚香の唇の端が上がる。
「楽しそうだな?」
張遼の問いに楽しいわと答えた。
「そういうあなたも笑ってるわよ」
「・・・久しぶりに血が騒ぐ」
「正直に楽しいって言えば?」
くすくすと戦場に在る者とは思えない程陽気に笑った。
周りの兵士達から見れば一瞬の出来事のようで、ただ口を開けて見ている事しかできない。
今度は張遼の方から先に刃を振り下ろす、それを両方の圏で受け止め足払いをかけたが、避けられた。
軽く舌打ちをして圏を前に突き出したがそれも避けられる。
後ろに軽く飛んで僅かな距離を置いて対峙した。
「さすがね、半分ぐらいかしら?」
「それはそなたも同じだろう、まだまだ先が見えぬ」
二人とも実力を隠しながら戦っている事はわかっている。
それでも楽しいと思ってしまう。
強い者と戦う喜びを今二人は同時に覚えていた。
しかし魏軍の伝令がその間に割り込んで慌てて伝える。
「りゅ、劉備軍が殿の進路を閉ざしております!」
「夏侯惇殿達はどうした!?」
「趙雲・張飛軍に押され、殿の援護に回れません!!」
「くっ」
伝令兵と張遼のやり取りに、こちらが優勢のまま進んで居る事を確認できた。
それならば、このまま・・・と思考が定まったと思ったら、次の言葉でそれは崩れていく。
「ならば!連合軍の総大将を喰いちぎる!!」
張遼の言葉に尚香を含む呉軍が固まる。
「なん、って言った?」
総大将、つまりは孫権を討つと言っているのだとわかった。
翠の瞳がギラリと光る、否、燃え上がる。
冷たすぎて熱い殺気が辺りに広がった。
察知できる者は、その凍えるようで焼き尽くされるようなこの空気に肩を震わせる。
「孫仲謀に害為す者は・・・許さない!!」
孫権を狙う者への怒りが先程までの空気を一気に吹き去った。
圏を一つ投げつけ、その間にもう一つの圏で斬りに掛かる。
さすがに片方だけでは軽く抑えられたが、投げた圏が戻って来た瞬間を見計らって上に跳んだ。
手に戻った圏を両方同時に上から投げつけた。
「覚悟!!」
「ま、だまだぁ!!」
張遼は投げつけられた圏を武器を振って受け止め尚香の方へ押し返す。
「くっ!」
返された自分の圏が、彼女の腕に傷を負わせた。
左腕に一筋の赤い線が走り、尚香は片膝をつく。
「姫様!!」
護衛兵が駆け寄ろうとしたが、彼女に遮られる。
「大丈夫、何て事無いわ」
傷は決して浅くは無い、上腕から流れ落ちる赤は幾筋にも分かれていた。
それでも立ち上がり、未だにその眼は燃え尽きる事を知らない。
落ちている圏を拾って構えた。
「まだ、やれるわ」
「無理をするな、そなたの命を獲ろうとは思わない」
「言ったはずよ、孫仲謀に害為す者は許さないと」
息が上がる、思ったよりも体力の減りも激しい。
だが、ここで倒れるわけにはいかないと彼女は精一杯気力を振り絞っていた。
そこに再び伝令兵が現れ、張遼に伝える。
「殿が劉備軍を突破、他の軍も直ちに引き上げろとの事です!!」
尚香に視線を向けながら自分の軍に命令した。
「よし、引き上げるぞ」
兵達を先に行くように促し、僅かな護衛だけを回りに残して張遼は背を向ける。
「孫呉の美虎よ、もう会わない事を祈ろう」
「・・・・・・」
「次に相対した時は、容赦はせん」
去って行く張遼の軍をぼやける視線で追うが、体がふらつく。
軍の後方が見えなくなりかけてから、尚香は倒れた。
姫様!!と呼びながら駆けて来る足音が遠くに響く。
兄様は無事?そう聞きたくても、意識がもう戻らなくて。
「にいさま」と唇が動いたが声にはならなかった。
同時に張遼の軍でも、僅かに騒ぎが起きる。
「張将軍、血が!」
「あぁ、少しでもずれていたら・・・この手首から先はなくなっていただろう」
鎌刀を持つ手が血に濡れている、最後の一撃は相当に重く返すだけで精一杯だった。
回転する圏の威力の凄まじさに、張遼は少し恐怖する。
「・・・侮れん」
そう呟く張遼に、兵達は口を閉じた。




ごとごとと揺れる感覚と聞きたかった声の主が「もう少し揺れないように出来ぬのか?」と
乗り手に向かって話す声が意識を覚醒させる。
「兄、さま?」
「尚香!」
尚香の呼びかけに気づいた孫権がすぐ側に腰を降ろした。
「大丈夫か?痛まないか?」
「う、ん大丈夫。ここ・・・どこ?」
まだ夢現な感じの尚香の髪をさらりと梳く。
「馬車の中だ」
起き上がると、孫権がその背を支えてくれた。
「・・・そっか」
急に胸が詰まって泣きそうになる。
負けたとは思わない、その事で泣こうとも思わない。
ただ、生きている事実・・・そして、兄がすぐ側に居る優しさに涙が溜まる。
どうした?と顔を覗き込んだ兄の存在に、我慢し切れなくて涙が零れた。
「こわ、怖かった」
孫権に抱きつき、肩を震わせる。
尚香の細い体を抱き寄せてそっと背を撫でた。
「怖いのは当たり前だ、あの張遼を相手に・・・」
「違う!違うの兄様!!」
見上げる翠が必死に否定する。
孫権の服をぎゅっと握って首を軽く横に振った。
「戦うのも、死ぬのも怖くなんか無かった!怖かったのは兄様に危害が及ぶ事、
 兄様を・・・失ってしまう事」
「・・・尚香」
数箇所に傷を負った手が孫権の心臓に充てられる。
「でも、ちゃんと生きてるのね」
涙で潤む瞳が微笑んだ。
妹の手に自分のを重ね、額に口付けを降ろす。
抱きしめる腕に力を込めた。
「私はお前を置いて何処にも行かぬ」
何度も白い頬に口付けをする。
くすぐったそうに尚香が身をよじったところでやっとその腕を離した。
「さぁ、もう少しお休み」
尚香を横にしてその手を握る。
「兄様、ずっと側に入れてくれる?」
「あぁ、ずっと側にいるよ」
「嬉しい・・・大好きよ兄様」
小さく寝息が聞えて来た所で孫権はそっと桜色の唇に口付けをした。
「よく・・・帰って来てくれた」


愛しい愛しい妹よ

お前に向けるは

無窮なる愛



<了>
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権尚です。リクエストしてくださいましたラジヲさんだけお持ち帰り可ですよ〜