俺を信じろ
目の前の馬鹿らしい光景を静観しつつ溜息をつく。
何で自分がここに居なくてはいけないのか?と問う心に答える声はない。
もう一度溜息をついた所で肩に手を置かれた。
「楽しくありませんか?」
其方を見る事すらせずにいると寄り添われる。
「ここがつまらないのでしたら、奥へ行きませんこと?」
杯を持つ手の甲に乗せられた手は白く、肉刺の一つもない。
媚びる様な女を強く意識させる香りは鼻につく。
不快、そうとしか思えなかった。
甘ったるい声を出してなお体をくっつけて来る。
「ねぇ・・・」
「触るな」
女の声を遮って、低く険のある声が周りを静まらせた。
今までどんちゃん騒ぎをしていた者達を含め、ここに居る全ての人間が注目している。
「ま、まぁ、怖いお顔ならないで」
女は取り繕う様に、一度離した体をまた近づけた。
「触るなと言った筈だ」
凄んで言うと女はそれ以上近づかない。
代わりに声をかけて来たのは連れだった。
「何をそんなに怒ってるんだ?」
ここに無理やり連れて来た人間にそんな事を聞かれたくない。
しかも抑えろよなんて諌められ、苛立ちは余計に募った。
もはやここに居る意味はない。
「悪いが帰らせてもらう」
悪いとは言いつつそんな罪悪感は微塵もなかった。
「わ、私も帰らせて頂きます!」
もう一人の連れが一緒になって立ち上がる。
彼等を引き止めようと何本もの白い腕が伸ばされたが、一睨みでそれはすぐに引っ込められた。
「・・・失礼する」
もう誰も引き止める者はいなかった。
店を後にした二人は自分達の戻るべき場所へ早足で向かう。
「ば・・・」
「ここらで名前を呼ぶな・・・噂が立つぞ」
「あ、すみません」
そこから先は何も話せずに終わる。
会話があっても良さそうなものだが、苛立ちを隠さずに歩む彼に話しかけられずにいた。
城門をくぐり、少々ではあるがようやく表情を緩める。
「では、失礼します」
「あぁ、お互い災難だったな」
「・・・そうですね」
苦笑し合って彼等はそこで別れた。
回廊を歩きながら彼、馬超は自室の前で立つ尚香を見つける。
こちらが声をかける前に向こうからかけて来た。
「妓楼に行ったって本当?」
「誰に聞いたそんな事」
「みんな話してる、孟起と子龍が妓楼で遊んで来たって」
店に入るのを誰かに見られていたのか?それとも趙雲が話したのか・・・何にせよ広がるのが早い。
「本当・・・なんだ」
「嘘ではない、だがな・・・」
馬超の言葉を聞く事無く大きく一歩踏み出た尚香の顔が歪む。
「孟起から女の人の香りがする」
「・・・くっつかれただけだ」
刹那、彼女の瞳が揺れた。
「くっつかれただけって、何で簡単に言うの?」
睨み上げる瞳は揺れ続けている。
「言っておくが、お前の考えるような事はしてないぞ」
「嘘!そんなの信じられない!!」
尚香の言葉に馬超の眉が動く。
只でさえ苛立って帰って来たというのに、弁解にも聞く耳持たずに自分を責める
彼女に矛先が向いてしまった。
「だったら何だと言うんだ?」
「何、その言い方?怒りたいのはこっちなんだけど」
「苛立ってるのはこちらも同じだ、大体話は最後まで聞け!」
「知らない!もうそんな話聞きたくない!!」
走り去る尚香を呼び止める事すら出来なくて、馬超は壁を壊す勢いで叩いた。
「くそっ!・・・馬鹿か俺は」
楼閣に腰を下ろして一人暮れていく空を見上げる。
泣きたくないのに涙が零れ、何度も擦っては溜息をついた。
「どうすれば、良かったの?」
空に問いかける、答えはもちろん無いが声は後ろから沸いた。
「尚香様?」
振り返った先には趙雲が居た。
「・・・子龍」
「お一人でどうされました?」
近づいて来る気配はひどく優しい。
お互い手を伸ばせば触れられる距離で、趙雲は立ち止まった。
「泣いて、おられたのですか?」
「え?あ、違うの、ごみが目に入っちゃって擦ってたらぼろぼろって」
「見せて下さい」
「ちょっ!」
大きな手が顔に添えられ上を向かせる。
「酷いな、赤く腫れてる」
「平気だってば、もうごみも取れちゃったし」
心配する彼に小さく笑う。
あぁ、少しなら笑える・・・と尚香は思った。
「ありがとう子龍」
「あなたを心配するのは当然です」
傍から見れば恋人同士でも見えてしまう光景。
それを彼は見てしまった。
気配を感じた尚香は趙雲越しにその姿を見る。
「孟起!?」
「悪いな、邪魔した様だ」
「ま、待って!」
呼び止めにも応じず馬超はその場から去ってしまう。
追いかけないと思いつつ体が動かない。
行ってしまった彼の後姿が脳裏から離れなかった。
なのに、動かない自分の体。
嫌悪を覚えつつ手を強く握り締める。
「馬超殿の機嫌は直ってない様ですね」
尚香と同じ様に馬超を見送った趙雲がぽつりと漏らす。
「どういう事?」
「あ、その」
妓楼に行った事を知らないと思っているのか、言葉を濁す彼に直接的に聞く。
「妓楼と関係あるの?」
始めは目を見開いて驚いたが、咳払いを一つして語り始めた。
「えぇ、馬超殿に女性が触れた途端「触るな」と脅してました。あの場所に居る事自体
嫌だった様です」
馬超の様子を語る趙雲の言葉に一瞬詰まった。
「嫌なのに入ったの?」
「私達は入りたくなかったのですが、張飛殿がいましたので」
「張飛殿が・・・一緒にいた?」
「はい、私達に「女遊びぐらい知っとけ」と言って引っ張り込んだのですよ」
その時を思い出したのか、彼はため息を一つつく。
そして尚香を見て少し笑った。
「それと、馬超殿は「俺に触れて良い女は一人だけだ」と仰ってました」
「それって、子龍に言ったの?」
「いえ、馬超殿は気づいておられないと思いますよ。恐らく声に出す気はなかった様ですから」
趙雲の言葉を聴いて、尚香は立ち上がる。
「ごめん子龍、私行く所があるから!」
ありがとう!と再度お礼を言うと尚香は勢い良く駆け出す。
小さくなる後姿を見送って、趙雲は静かに静かに微笑んだ。
「孟起!」
駆けながら名前を呼ぶ。
「待って孟起!!」
彼を追いかけて、追いついた場所は先程喧嘩別れをした場所。
馬超の部屋の前だった。
偶然なのか必然なのかはわからなかったが、やはり運命を感じてしまう。
扉に手をかけて振り返った彼の表情は些か厳しいものであったが、尚香は怖気づかなかった。
「何だ?」
「言わなくちゃいけない事があるの」
「?」
すぅっと息を深く吸って、彼女は頭を下げた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
「・・・は?ちょ、ちょっと待て!」
「ごめんなさい!!」
「だから待てって!」
「あっ」
何度も頭を下げた為、眩暈を起こした尚香の体が後ろに傾いた所を馬超の腕がとっさに支える。
「った〜クラクラする」
「阿呆、気をつけろ」
背中に回された腕が変わらず優しいので、そのまま胸へ寄りかかった。
「ごめん・・・孟起、ごめんね」
尚香の背中に回した腕を自分の方に引き寄せる。
「あのな、何でお前が謝るんだ?」
「あなたを信じなかった、ちゃんと話聞かなかった、誤解もさせちゃった」
「それは、お前が悪いわけじゃない」
「ううん、私も悪かったの・・・でも、孟起だって悪かったんだからね」
最後の方は涙声で掠れ始めていた。
「すごく、嫌だったんだからぁ」
既に泣いているのだろう、馬超の服を握って離さない。
小さく震える頭を撫でてやる。
「悪かった」
腕の中で小さく頷く尚香を抱きしめ、手の上を流れる髪に口付けをした。
「もう、行かないでね」
「わかってる」
首に回された腕の重みを愛しいと感じて、口付けを繰り返す。
そして、あぁそうだ、と思い出した様に馬超は尚香の顔を覗き込んだ。
「孟起?」
「言っておく事がある」
「何?」
見上げた瞳に映った彼は真面目でいて、穏やかな表情をしていた。
「俺を信じろ、お前は俺だけを信じてればそれで良い」
はっきりと自信を持って投げられた言葉に
はい、と頬を染めて頷いた。
「あなただけを信じてる」
<了>
久々に馬尚のお題小説です。
セリフ的に戦場なんかがイメージ浮かびやすいんですが、馬超浮気疑惑!?みたいなのを
書きたかったんで、こんな感じに(笑)
セリフお題なのに、その肝心のセリフをどこで使えばいいんだか
わからなくなってました(苦笑)
もっと上手くセリフ回し出来る様にならないと〜;
尚香だけが彼に触れられるってのがわかればそれで良いんです!(笑)