真夏の瑞風




太陽が真上に来ているこの時間、鍛錬に勤しむのは得策ではない。
戦時中ならまだしも、現在は戦が控えているわけでもなかった。
孫呉の軍は鍛錬を朝と夕方の比較的涼しい時間を利用して行うようになっている。

―――ただ一人を除いては

男の目に映るは少女が一人。
誰も出たがらない太陽の照りつける鍛錬場で必死に体を動かしている。
その顔に浮かぶのは、焦りと、疲労。
舌打ちを一つして、彼は立ち上がった。
一旦何処かへ去ったかと思えば、戻って来て彼女の下へと大またで近づく。
疲労で下がった腕を掴んで強引に引っ張った。
「っな!?何すん」
「うっせ、いいから来い」
掴んだ腕から伝わる体温の高さに彼は眉間に皺を寄せた。
しかし彼女の抵抗は続く。
「嫌よ!離して興覇!!」
「離せるか馬鹿姫!」
「ば、馬鹿姫!?」
「馬鹿だ馬鹿、大馬鹿だ」
無理やり引きずられている上馬鹿だと言われ、彼女、孫尚香の眉間にも皺が寄る。
彼女の口から次の言葉が出るのを待つ気もない甘寧は、木下に出来ている木陰に尚香を座らせた。
だが彼に従うのを拒む彼女はすぐさま立ち上がろうとした。
が、頭から一気に大量の水をかけられ一瞬でその間を逃がす。
「な、何すんのよ!!」
「黙ってろ」
更に口に竹筒を突っ込まれ、水を注がれた。
喉が鳴る、拒絶したいのに体が水を欲しがったいるのが嫌というほどわかった。
ほぼ飲みきったところで口から竹筒が取り出される。
言葉が出ない。
怒るべきなのか感謝するべきなのかわからず、頭の中がこんがらがっている。
俯いてしまった彼女の視線の高さに合う様に甘寧がしゃがんだ。
「姫さん無理しすぎなんだよ」
「そんな事・・・」
「あるだろ、実際倒れる寸前じゃねぇか」
大きな目をさらに見開き、眼前にいる甘寧に視線を向けた。
そこに居る彼は怒っているわけでもなくて、ただ心配そうに彼女を見つめている。
「・・・あんな暑い中鍛錬続けても倒れるだけだぜ」
「でも、でも!」
「強くなりたいって?」
「・・・何で、知ってるの?」
「わかるっつうの・・・あ、これあいつの口癖だった」
あ〜最悪と顔を顰めた。
尚香の脳裏にもこの独特の口癖を持つ彼が浮かぶ。
甘寧の嫌がり方に少しだけ口元が緩んだ。
「公績に言ってやろうかしら、興覇が真似してた〜って」
「げっ、それだけは止めてくれって!」
慌てる甘寧にくすくすと笑う声が漏れる。

「姫さんは、そうやって笑ってた方が良いぜ」
無理すんなよと足された言葉に、ふっと我に返る。
「強くなりたいって気持ちはわかる。けどな、姫さんが倒れたら悲しむ奴が多いんだよ、みんなにそんな顔させて嬉しいか?」
「・・・嬉しくない」
「だろ?」
「うん」
「だからな」
「でも、強くなりたいの!」
必死さを纏った、こちらが痛くなるような顔で喰いつく尚香の頭を優しく撫でた。
「大丈夫だって、姫さん一人で無理しなくても・・・俺がいる」
「・・・興覇」
「俺だけじゃねぇよ、呂蒙のおっさんもいるし、陸遜だっている・・・それに、凌統だっているだろ?」
むかつくけどな、と最後に小さく付け足された言葉もしっかり聞こえた。
けれど、彼は笑っている。
尚香を安心させる為に、尚香に笑ってもらう為に。
「一人で強くならなくても良いんだよ」
甘寧の言葉に我慢できなくなった涙が零れる。
ぽろぽろと続く涙に声まで出て行く。
「っく、こ・・・はぁ」
頭を撫でていた大きな手が後頭部に回り、ぐいっと彼の体に引き寄せた。
厚い胸板に額が当てられ抱きしめられる。
「・・・もう一人で頑張りすぎるなよ?」
言葉も出せず、頷くだけで精一杯だったけれど、自分も彼に触れたくてそっと背中に手を回した。
小さく小さくありがとうと伝える。
その言葉に応えるかのように、抱きしめる腕に力が篭った。



いつの間にか好きになっていた。
真夏の太陽のように攻撃的な人だと思っていたのに、その真にある優しさを知ってしまった。
その部分に触れた瞬間、涙が溢れる。
私は、この人が好きだと心から思った。

そう、あなたは私の渇きを潤せる。

唯一の、真夏の瑞風だった。



<了>
尚香が甘寧を好きになったきっかけの話になりました。
甘寧→←尚香みたいな感じですね。
甘寧×尚香でも、甘寧⇔尚香でもないみたいな。
両思いだけど、まだ好きだとか愛してるってのは伝え合ってないところがちょっとはがゆい(笑)