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原爆の子の像 原爆投下後、10年もたった1955年の秋、ひとりの少女が 亜急性リンパ腺白血病と闘い、死んでいきました。 佐々木禎子さん、12歳。 禎子さんは入院中に、全快を祈って「千羽鶴」を折りつづけて いましたが、とうとうその願いはかないませんでした。 禎子さんの死をきっかけに、原爆の犠牲となった多くの仲間たち の霊をなぐさめるとともに、戦争の悲惨さを訴え、世界に恒久平和 を呼びかけるために「原爆の子」の像を作ろうと、広島の子どもたち が立ちあがりました。その輪は、ひとつのクラスの子どもたちから 広島市すべての小・中・高校の児童・生徒へ、さらに全国の子ども たちにひろがり、遠く海外からも支援の手が差しのべられました。 そして、2年半後の1956年の「子どもの日」に像は完成・除幕され たのです。 |