今年の春に広島四国一人旅をしたときに、平和公園にはきましたが、我が社の中国支社の
近くなので立ち寄った時に再度観光してしまいました。

  平日だったので、修学旅行生がたくさんいました。 



原爆慰霊碑
慰霊碑は、はにわの家型につくられており、犠牲者の霊を雨露から守りたいという気持ちをあらわしています。
そこに安置してある石棺には、姓名の判明した被爆死没者約10万柱(1983年現在)の過去帳がおさめられています。


  原爆の子の像
原爆投下後、10年もたった1955年の秋、ひとりの少女が
亜急性リンパ腺白血病と闘い、死んでいきました。
佐々木禎子さん、12歳。
禎子さんは入院中に、全快を祈って「千羽鶴」を折りつづけて
いましたが、とうとうその願いはかないませんでした。
禎子さんの死をきっかけに、原爆の犠牲となった多くの仲間たち
の霊をなぐさめるとともに、戦争の悲惨さを訴え、世界に恒久平和
を呼びかけるために「原爆の子」の像を作ろうと、広島の子どもたち
が立ちあがりました。その輪は、ひとつのクラスの子どもたちから
広島市すべての小・中・高校の児童・生徒へ、さらに全国の子ども
たちにひろがり、遠く海外からも支援の手が差しのべられました。
そして、2年半後の1956年の「子どもの日」に像は完成・除幕され
たのです。
 



原爆ドーム
「昭和20年8月6日、史上はじめての原子爆弾によって破壊された旧広島県産業奨励館の残骸である。
爆弾はこの建物のほぼ直上約600メートルの空中で爆発した。その1個の爆弾によって20万をこえる人々の生命が
失なわれ半径約2キロメートルに及ぶ市街地が廃墟と化した。
この悲痛な事実を後世に伝え人類の戒めとするため、国の内外の平和を願う多数の人々の寄金によって補強工事を施し、
これを永久に保存する。

 

  広島市内には今でも路面電車が走っています。私が子供の
頃には名古屋でも路面電車が走っていたな〜