小田城跡、平沢官衙遺跡 現地研修   
 
平成26年10月18日 
行程:

  豊浦交流センター(8:00出発)⇒ 小田城跡 ⇒ 平沢官衙遺跡⇒ レストセンター筑波館(昼食) ⇒
  筑波神社 ⇒ 蚕影神社 ⇒ 普門寺 ⇒ 豊浦交流センター(16:30着)

研修概要:
1.本年度第2回目の現地研修会。参加者は会員・賛助会員合わせて23名。
2.定番のバス車内の歴史勉強会は、橘先生より ご用意頂いた資料を基に次のような内容について、また
  それぞれの見学・研修先では坂本先生、橋本先生、小林会長より適切な解説を頂いた。
 (1) 小田城・小田氏に所縁のある,権現山櫛形城、八田知家(はったともいえ)氏、宍戸家政氏の関連について
 (2) 小田城跡:小田氏と小田城
       本丸の概要 @ 本丸跡の遺構面 A 中世の変遷 B 出土遺物 C 発掘調査の成果
 (3) 平沢官衙遺跡:つくばの正倉院
       @ 平沢官衙遺跡がつくられた時代 A 郡衙と正倉 B 建物の種類と出土物
 (4) 筑波山神社:@ 失われた名刹 A 万葉の山、恋の山 B にぎわいとガマの油売り
 (5) 常陸国の蚕神社の研究 @ 豊浦蚕養神社 A 神栖の蚕霊神社 B 筑波蚕影神社
 
(6) 普門寺
 絶好の研修日和,行楽日和で、”解説付き”現地研修に、賛助会員を含む郷土史探訪クラブの一行は、楽し
みながら歴史の勉強をすることができた。研修先の先々から筑波山を望むことができ、さらに筑波山神社では
図らずも ”ガマの油売り”の実演を見学することができた。
  会員の村上氏
の俳句2句をもって締めくくりとします。 
   『守護小田も末は秋田に世の移り』・・・筑波の小田城も後には佐竹氏のものとなり
                                 さらに徳川氏によって秋田に移封されたなあ・・・
    『双倉の平沢官衛や夫婦峰』   ・・・双倉の吹抜け窓には借景の筑波山が有ったなあ・・・

                                               以上

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現在残る戦国時代末期の遺構は、本丸を中心にほぼ三重の堀と大小の曲輪が取囲む構造。北畠親房は「神皇正統記」を小田城で著したという。 平沢官衙遺跡は、奈良・平安時代の常陸国筑波郡の郡役所跡と想定される遺跡。
写真は土壁双倉と校倉
(手前)
 校倉の内部通常は内部の見学はできないが特別に開放して頂いた 土壁双倉 
空間から筑波山の男体山、女体山が見える。
校倉造り: 奈良の東大寺の正倉院と同じつくり。断面が三角形の木材を平らな面を内側にして積み上げる構造。 平沢官衙遺跡にて集合写真
遠くに筑波山が見える。
筑波山神社は筑波山を神体山と仰ぎ、西峰に筑波山大神を、東峰に筑波山女大神を祀る神社 ”手前ここに取りいだしたるは筑波山名物ガマの油、ガマと申して もただのガマとガマが違う、・・・・・・”
蚕影神社 :筑波山神社と蚕影神社は姉妹の関係にあり、蚕影神社が姉、筑波山神社は妹に当たる由。 
約2百の石段の上に神社がある。
絵馬堂 :各地の養蚕関係者から寄せられた絵馬がかけられている筈であったが、当日は外されていた 普門寺 :豪族、小田治久の開基であり、代々小田氏の祈願所とされる。境内には小田家供養塔や天狗党田中忠蔵鎮魂碑等がある。 普門寺鐘楼堂
真新しい綺麗な鐘楼堂平成13年に再再建された。