現地一泊研修「秋田佐竹氏探訪」   
 
平成24年4月26日〜27日 
 
  行程
  <1日目>
   豊浦交流センタ(6:00発) −「秋田ふるさと村」で昼食 − 横手城跡 − 角館 武家屋敷 −
   プラザホテル山麓荘(17:00着)
  <2日目>
   プラザホテル山麓荘(8:00発) − 刺巻湿原水ばしょう群生地(予定外)− 天徳寺−秋田千秋公園 −
   「秋田まるごと市場」で昼食 − 豊浦交流センタ(21:00着)

   本年度第1回目の現地研修。会員,賛助会員合わせて26名が参加した。桜の季節に合わせ春の現地
  研修が計画,挙行されたが、角館の桜はまだ一部咲きといったところ。一方 秋田千秋公園の桜はほぼ
  満開で一同溜飲が下がった。朝6時出発、2日目の帰着が夜9時という強行軍にも関わらず、疲れを
  余り感じることなく実りの多い研修旅行であった。
   バス中の勉強はすっかり定番となっていて、橘先生,橋本先生,坂本先生からそれぞれ分かりやすい
  事前講話があった。長いバスの旅を考慮してDVDによる映像を併用するなど、進め方に工夫がなさ
  れていて気張らずに楽しく勉強することができた。
   1602年、佐竹義宣が出羽国秋田へ国替えになって以来の,秋田佐竹家の領内運営(国つくり,
  人つくり)に関して 、城跡や寺院などの史跡を訪ね、往時を偲びながらの現地研修であった。
 
  予定外の刺巻(さしまき)湿原地を訪れ、美しく咲いた広大な水ばしょう群生を観ることができた
  のは大変ラッキーであった。
 
 
        
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案内人の説明に聞き入る。小野寺輝道によって築かれた横手城(別名朝倉城)。公園は桜の名所として知られるが、この日は二分咲き
郷土資料館を兼ねた横手城(模擬天守閣)を背景に集合写真

桧木内川堤のソメイヨシノ。全長2kmに及ぶ桜のトンネル。満開になれば右下の写真のよになるはずだったが・・・・、この日は一分咲き

仙北市角館伝統的建造物群保存地区。1620年芦名氏により大規模な都市計画が実施され、その後は佐竹北家の城下町になった
青柳家は佐竹藩の家臣としてその繁栄を支え続けた角館を代表する武家屋敷 宴会風景 静かな始まり、先ずは会長の挨拶から飲むほどに 酔うほどに賑やかに 女性軍全員(10人)によるカラオケ
JR田沢湖線刺巻駅の近く、国道46号線沿にある刺巻湿原水ばしょう群生地こんなに密生している水ばしょうの群生は珍しい由
国道沿いの3haに亘って6万株ともいわれる水ばしょうが今を盛りと咲き誇っていた。白い部分は葉の変形でホウとといい、仏焔苞 天徳寺は、秋田市にある曹洞宗の寺院。久保田(秋田)藩主佐竹氏21万石の菩提寺写真は総門 天徳寺山門は寛永5年(1628)に建立された。三間一戸、瓦葺きの楼門で国の重要文化財 天徳寺お霊屋(おたまや)  二代藩主義隆公の発願により寛文12年(1672)に完成。周囲に立ち並ぶ石灯籠は家臣達の寄進
二の丸より長坂を登り、長坂門跡を通ると左手に久保田城表門がある。(平成13年復元構造は木造二階建て瓦葺きの櫓門で壮大なもの 本丸の北西隅に位置する御隅櫓
千秋公園は、久保田城跡に整備された都市公園で、隅櫓や門が復元されている。桜の名所でも有名
園内の桜はほぼ満開
秋田佐竹12代 佐竹義堯公銅像
佐竹義堯(文政8年(1825)〜明治17年(1884)〉は、近代秋田を築いた最後の藩主戊辰戦争では、新政府方に属して戦った
船形手水鉢 豊臣秀吉の朝鮮出兵の折りに加藤清正が持帰り、秀吉に献上、 大阪城にあったものを石三成の計らいで佐竹氏に下賜されたという伝説の手水鉢