鎌倉史跡巡り

平成19年10月20日(土)

坂本会長記

概況

 天気晴朗で行楽日和。午前の部は史跡の研修。ほど良い歩行でうっすらと汗ばむ。鄙びた寺庭に魅せ
られる。

将軍墓は質素な感じ。大蔵幕府も今は清泉小学校。高徳院の大仏様と長谷観音は大賑わいで若者と
外人が
目立った。 帰りの車内は和気あいあいの楽園。「来た甲斐があった」の声あり。これぞ真の
研修会。全行程
時間通りの進行。

 
コース

 (1)鎌倉宮大塔宮幽閉の土牢⇒(2)瑞泉寺の禅宗庭園⇒(3)鶴岡八幡宮 @舞殿と静御前 A大銀
杏と公暁
B上宮⇒(4)頼朝墓はあまりにも質素⇒(5)大江広元も草蒸す墓⇒(6)大蔵幕府今は
小学校⇒⇒
鎌倉会館味亭で昼食⇒(7)高徳院では団体割引でハプニング⇒(8)長谷寺は変化に
富んで結構也⇒帰路⇒
大黒埠頭⇒守谷⇒友部

情緒あふれる古都鎌倉

 鎌倉のシンボルは大仏だ。鎌倉時代独特の様式を伝える阿弥陀如来像である。外見では釈迦如来と
似て
いて、区別がつけにくい。だが印(手の組み方)が九品印(くぼんいん) という阿弥陀の形なので
区別できる。阿弥陀には三尊として、観音、勢至、阿弥陀がある。

与謝野晶子は大仏を「釈迦矛尼」としたのは誤りで、阿弥陀仏が正しい。吾妻鏡(鎌倉時代の歴史書)
に、
「金銅八丈の釈迦如来の像を鋳始め奉る」の記述があるので、晶子が釈迦矛尼としたとも思われる。
建長
4年、「大仏造営を始む」と吾妻鏡に記されているが、完成年代や発願者」の史料はない。

時世からみて、時頼の発願ではなかったか。                                                 

かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は

美男におわす 夏木立かな  与謝野晶子