「上野 寛永寺・芝 増上寺探訪」 現地研修  
 
平成22年10月16日 
 
行程
 豊浦交流センタ(6:30発)−寛永寺(9:30着)−動物園内で昼食−増上寺−豊浦交センタ(15:20着)

 
 会員18名 及び賛助会員5名、合わせて23名は、チャーターバスにて上野は寛永寺へと向かった。
 本年度3回目を数える現地研修は
絶好の天候に恵まれ、研修に 行楽に有意義な一日となった。
 
  行きのバスの中では、まず 橘先生から「寛永寺・増上寺探訪」と題する資料により、寛永寺及び
 増上寺の見どころについて説明があった。続けて坂本先生,小林会長から、16代に亘る徳川将軍
 の墓所について、さらには研修予定施設(寺院,霊廟等)について解説があった。資料には図や
 写真がふんだんに使われており、充分に予備知識を得ることが出来た。

  当初の研修(見学)予定にはなかったが、ガイドさんにお願いし、15代将軍徳川慶喜の墓地を
 訪れた。
寛永治領の谷中墓地(寛永寺境内より数百メートルの位置)に、下方上円型の神式墳墓で、
 昭和天皇の墳墓も同型。水戸出身の最後の将軍。
                          

 写真をクリックすると拡大表示されます。                       
 開山堂(旧本坊表門より入る)
天海僧正,慈恵大師の像も一緒に安置されるようになったため、両大師開山堂と呼ばれる。
ガイド(渡邊氏)の説明を熱心に聞く。) 
 大賀ハス(古代蓮)
このハスの花は2000年以上前に地上に落ち、泥中に眠っていた実が開花したもの。大賀一郎博士の名を名を冠している。 
 常憲院霊廟
5代将軍徳川綱吉の霊廟、8代吉宗,13代家定夫妻を合祀。同じ寛永寺霊園内に4代将軍家綱(10代家治11代家斉合祀)の霊廟あり 
 根本中堂
 天台宗本堂。上野戦争で焼失し、明治12年に川越の喜多院より移設。元は間口45m,奥行42m,高さ32mの大建築物。
 東照宮参道
社殿唐門前と参道に48基の銅燈籠がある。これらは寛永慶安年間に諸大名が奉納。唐門両側6基は徳川御三家より寄進されたもの。 
 東照宮
徳川家康の遺言で藤堂高虎が1651年に屋敷内に建立。家康,吉宗,慶喜を祀る。現在修復工事中。背景は実物のように見えるが大写真。
 

 寛永寺五重塔
1639年大老土井利勝の寄進で建立。釈迦如来,薬師如来,弥勒菩薩,阿弥陀如来を安置。
現在は上野動物園所有高さ約33m
 五重塔集合写真
動物園、土曜日で好天候,ということもあり、家族連れや子供たちで園内は大盛況。ここで思い思いに昼食を摂る。
 増上寺(本堂)
二層造りの壮大な寺院だったが空襲で焼失し、昭和49年復興したもの。屋根の鵄尾など往時を復元している。本尊は阿弥陀如来。
 三門(三解脱門)
家康の願いで秀忠が造営した増上寺の中門。完成は1622年。三解脱とは、@貪り、A怒り、B愚さ の三つの煩悩を解脱すること。
 鐘楼堂
1633年建立したが火災で焼失。大梵鐘は1673年、4代将軍家綱が7度も鋳直してやっと完成したもの。高さ3m、重さ15t。
徳川家霊廟
6人の将軍(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)と奥方,生母が葬られている。写真は家宣夫妻(向こう側)と秀忠夫妻(手前側)石塔