「日光探訪」 現地研修  
 
平成23年7月16日 
 
  行程
  豊浦交流センタ(6:30発)−日光東照宮(9:40着)−二荒山神社−大猷院−(カステラ本舗にて昼食)
  −輪王寺三仏堂−田母沢御用邸−豊浦交流センタ(18:20着)

   会員21名 及び賛助会員2名、合わせて23名は、チャーターバスにて日光の文化遺産を訪ねて
  一路日光市へと向かった。
   本年度第1回目となる現地研修は日光東照宮近傍は標高800mながら気温が30度を超える
  真夏日となり、熱中症を気にしながらの研修となったが、しかしながら用意周到な計画と準備によ
  り内容の濃い研修ができた。

 
   行きのバスの中では、恒例により、まず 橘先生より「東照宮」について、続けて橋本先生より
 
 「大猷院」について、さらに小林会長より「二荒山神社」について、最後に坂本先生より「田母沢
  御用邸
」について、分かりやすく作成された資料に基づき解説があった。これらの事前学習により
  充分に予備知識を得ることができ、本番の見学では以前より知識を持っていたかのような錯覚!?
  気分で研修ができた。
    帰りのバス中は、満ち足りた気分の中、ビールなどの飲食物で喉を潤しながらのリラックスした
  
楽しい帰路であった。                        

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 東照宮陽明門
 
“陽明門”は日光東照宮を代表する建物で、江戸文化の粋を集めた約500の彫刻と極彩色の装飾を施してある逸物。(日光を見ずに結構と言う無かれ,と言われる)
 神馬を入れる神厩 
 有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」 の三猿の彫刻がある。
 東照宮の中で、この神厩(しん
きゅう)だけが漆の塗られていな
い素木(しらき)造りの建物
 眠り猫 ( ねむりねこ )
 坂下門へと続く回廊の長押の牡丹の花の下で眠って居る猫の彫り物。左 甚五郎の作とも伝えられる。徳川家康の墓に行く手前にあるため、ネズミ1匹通さない・・・とか。
 奥社宝塔
  拝殿の後方、中央正面に銅製の鋳抜門があり、その後方に家康の墓・宝塔が建っている。 高さ5メートルの宝塔は、8角9段の石の上にのっている。
 二荒山(ふたらさん)神社
 
1200年以前から男体山(2484メートル)を御神体山とし、 日光の山々の神を祀る神殿。徳川二代将軍秀忠公により建立。二荒山の名は補陀洛山が訛ったもの。
 大猷院廟二天門
重厚で落ち着いた色彩が特徴の大猷院のなかでは、比較的鮮やかな色彩が目を引く。八脚楼門入母屋造り。正面の掲げられた「大猷院」の揮毫は後水尾天尾によるもの。
 家光公廟所(奥の院)
 徳川三代将軍「徳川家光公」の没後、その廟所「輪王寺大猷院」が建立されて以来、「家光公の御尊像」は、本殿の「御宮殿」(国宝)内にひっそりと奉安されている。
 大猷院夜叉門
 全体が黒と金を基調とした色彩で作られた重厚な八脚門。門の表と裏には迫力満点の4体の夜叉像が安置されており、それぞれの色は東西南北を表す。
 カステラ本舗で昼食
 日光と言えば湯波がメインの精進料理!葵御膳は徳川将軍家葵御紋をイメージ。日光山輪王寺強飯式をイメージした大杯膳を使用。
(お値段は1,000円)
 輪王寺三仏堂(現在修理中)
 日光山の中心のお堂。徳川家光公が再建。日光最大の建造物。
 本尊は千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音の三体で、このため三仏堂とも呼ばれる。
 田母沢御用邸 御車寄
 皇太子嘉仁親王(大正天皇)のご静養地として明治32年(1899年)に造営された。唐破風形式の格調高い御車寄は、花御殿の玄関として、明治22年に増築された。
 謁見所
 謁見所は天皇陛下が公式の来客との面会に使用された部屋。床の間と天井は真の書院造りであるが、畳敷きの上に英国製の絨毯を敷き和洋折衷様式となっていた。