平成22年度活動記録 | ![]() |
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期日 | 研修内容 | 担当 | 出席 |
3/19 | 講話 東日本大震災の影響により中止 | 辻・ 大平 |
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2/19 | 講話 「常福寺,会津城等の沿革と徳川将軍家、会津松平家等の墓地探訪」 <講話要旨> 下記の神社仏閣,城の沿革(開山,築城から幕末までの動静及びその後の再建復興)と、 徳川将軍家,会津松平家の墓地を訪れて収録した写真を元に、墓地の紹介と解説。 1.瓜蓮常福寺 ・延元年中(1336〜1339)に了実上人によって開山。現在の本堂は、浄土宗常陸総本山 としての格式のある寺で、平成7年(1995)、木造入母屋本瓦葺本堂が落慶されている。 ・二十六夜尊大祭:了誉上人への報恩の大法要を行う祭礼を「二十六夜さん」と称しており、 毎年旧歴九月二十六日・二十七日信者が参籠したのでこの名がある。六百余年後に至る 今日、瓜蓮地方にひろく「二十六夜尊」として崇敬され、学問の仏様として早朝から深夜 まで、近郊近在の善男善女が参詣する。 2.会津城 会津城の歴史は14世紀、会津に居を定めた豪族蘆名氏の黒川城に始まる。その後、 蒲生氏郷,加藤嘉明を経て近世会津藩の藩祖、保科正之が受け継いだ。会津城は 幕末まで保科家、のちの松平家の居城となった。 慶応4年(1868)、鳥羽・伏見の戦いの後、九代藩主松平容保の指揮のもと、会津城は 1ヶ月にわたり新政府軍の猛攻に耐えたがついに降伏した。昭和40年(1965)、天守閣が 100年ぶりに再建された。 3.土津(ハニツ)神社 土津神社の御祭神である土津霊神・保科正之公は、寛永20年(1643)、会津に封じられ 会津松平家の始祖となった。土津神社は、神殿・回廊など奥日光又は東北の日光といわ れるほど壮厳壮麗であったが、明治の戊辰の兵火で社殿がことごとく焼失した。今の社殿 は明治13年(1880)の造営に成るものである。 資料抜粋はこちら |
橋本 | 17 |
1/15 | 講話 「水戸藩 安政の改革と砂沢村、砂沢村風儀改革」 <講話要旨> 水戸藩に於ける安政の改革の概要、並びに砂沢村に於ける風儀改革の申し合せ文書に 関し、プロジェクターを用いて分かりやすく解説。 T.水戸藩 安政の改革と砂沢 村---村掟を中心として--- 1.徳川斉昭の失脚と再登場:「天保の改革」の行き過ぎ・・・弘化元年(1844)斉昭の処分 2.安政の改革:文武の振興(藩校・郷校の整備)、軍制の改革(武備の充実,海防政策 の強化等)、農政の改革(郷村の治安の対策,郷村の風儀改革等) 3.砂沢村 風儀の村掟 U.砂沢村風儀改革ヶ条申合御受書(抄=大意)(安政2年,3年) 1.日常生活が奢侈にならないようお触れが出されたことに対し、砂沢村人として質素 倹約を旨とする申し合せ書(原文:14条)についての解説 (例:現代文訳で) ・子育てでは前々からお触れがありますように、間引きは禽獣にひとしく絶対に致しません ・結婚式後お祝いに来た人たちへの接待は親類以外は盃などでの歓待は致しません。 資料抜粋はこちら |
橘 | 17 |
12/11 | 講話1 「日本の歴史を作った人々-戦国時代編」(金谷) <講話要旨> 1.戦国時代〜江戸時代初期に活躍した人々・・・日本の歴史を作った人々(40人)に ついて、生・没年及び歴史を刻んだ年齢並びに風貌・顔について、主に肖像画や 銅像写真で紹介。 2.超有名人の織田信長,豊臣秀吉,徳川家康の風貌は肖像画も多く、歴史教科書で お馴染みであるが、3人に次ぐ歴史上の人物については、肖像画は意外に少ない。 インタネット検索情報等により紹介。 講話2 「大煙突と日立のさくら」(大石) <講話要旨> 1.日立鉱山の歴史 寛永17年(1640年)永田茂右衛門,勘右衛門父子が藩の招きで甲斐・黒川鉱山から 常陸に移ってきた。水戸藩として初の山師による本格的な鉱山開発。(赤沢銅山) 明治38年12月、大橋真六氏から赤沢鉱業合資会社を買い取り、さらに実業家久原 房之助によって開山された。 2.精錬所建設と煙突、大煙突の建設 本山精錬所、鉱煙による山林等への被害、阿呆煙突、大煙突等につて解説 3.鉱都日立のさくら・・・そのルーツ 日立のさくらの主流は染井吉野、そのルーツを追うと大島桜に辿り着く。煙害を防ぐ ため、鉱山では耐煙性樹木・農作物を開発し苗木を育成に専念した。その過程に 於ける耐煙性樹木の第1号が大島桜である。大正3年から昭和7年までの18年間 で日立鉱山が植林した大島桜は260万本という。 <忘年会> 恒例となった,12月第2週の定例会後の忘年会が「千歳寿司」で盛大に実施された。 定例会及び忘年会の情景はこちら |
金谷・ 大石 |
21 (忘年会) 21 |
11/20 | 講話 「砂沢村鎮守護摩道具寄進帳」 <講話要旨>本年4月の講話:「江戸期の砂沢村」に引き続き、砂沢村鎮守護摩道具 寄進帳について、プロジェクターにより、史料,護摩道具等を、写真を用いて 解説。 ・宝暦7年(1757)、砂沢村村民による護摩道具寄進の具体的な内容についての史料 (古文書)の”読み解き” (寄進額と道具:はなさら,花立,とつこ,五こ等) ・御宮修理留控についての史料(古文書)の”読み解き”; (例@) 享保11年(1726年)、鎮守御宮新規建立ノ入方:施主 庄屋六左衛門 (例A) 宝暦2年(1752年)、拾三ケ年にふき替:庄屋太郎衛門、 他数例について 資料抜粋はこちら |
橘 | 15 |
10/16 | 現地研修「寛永寺と増上寺」 参加費 5,000円 (昼食代一部含む) <主な研修先> ・ 寛永寺:常憲院霊廟、国際子ども図書館、根本中堂、慶喜墓地、動物園・五重塔、東照宮 ・ 増上寺:三解脱門、鐘楼堂、水盤舎、増上寺(本堂)、鋳抜門、将軍家墓所 (詳細は現地研修記録(写真)へ) |
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9/18 | 講話 「金堀沢をめぐって(2)--日本列島の生い立ち」 <講話要旨>H21年12月の講話に続き、日本列島の生い立ちについて、プロジェクター により、写真を用いて講話。 1.日本列島は1億年前にはアジア大陸の縁にあった。 ・大陸の一部で、主にジュラ紀(中生代)に堆積した付加体 ・中央構造線と棚倉構造線で接合していた内帯と外帯が横ずれ断層で、2,000kmも ずれていた。 2.棚倉構造線は日立市にも ・里川(東縁断層)-以東は東北日本外帯、山田川(西縁断層)-以西は西南日本内帯 3.大陸は彷徨をを続けてきた。 ・地球の構造とマントル対流、大陸の分裂と合体 4.日本列島の特異性 ・西南日本内帯:ヒスイの三大産地の一つ。秋吉帯は赤道付近のサンゴ礁 ・西南日本外帯:黒瀬川古陸はゴンドワナ大陸から。 5.日本列島になるまで ・2,500万年前の日本列島 ・日本海ができ、大陸からはがれる。 資料抜粋はこちら |
小林 | 19 |
7/17-18 | 現地研修「伊達政宗と多賀城跡」 参加費・納涼会 男:26,000円 女:25,000円 <主な研修先> ・東北歴史博物館 ・多賀城跡 ・塩竃神社 ・松島海岸 ・瑞巌寺 ・封人の家(旧有路家住宅) ・大崎八幡宮 ・竹駒神社 ・白石城 (詳細は現地研修記録(写真)へ) |
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6/19 | 講話「石神小野崎・200年の盛衰」 <講話要旨> T.石神小野崎の発祥 1.矢吹氏説,日立市史による小野崎氏略系図について 2.石神小野崎初代「通信」は実在の人物(通信の存在を示す古文書あり) U.道綱の犠牲的な殊勲 1.石神道綱時代の佐竹領内:佐竹家の内紛、久米城攻防、岩城城の来寇 2.奥州連合軍との戦い:佐竹の弱体化をみた奥州南部の強豪たちは、延徳元年 (1489)連合して佐竹領を攻め込んだ。 V.石神合戦 1.額田氏の滅亡:額田11代義亮は数度の挙兵の後、応永30年(1423)一族滅亡。 2.額田小野崎氏:義憲は小野崎道胤に額田城とその知行地を与えた。道胤は自分の 三子・道業の孫・道重に与えた。この間小野崎の姓を名乗り続けた。 3.石神,額田両小野崎の反目:接する領地の争いから両家の間柄は次第に険悪化 4.合戦へ発展、そして石神合戦:漁業権の争いに端を発し合戦へ 決戦は13回に及び、ついに天文5年(1536)、額田勢の勝利をもって終わる。 W.その後の石神小野崎 1.石神小野崎の落魄:天正16年(1588)、石神城主・通信は佐竹義重・義宣に従い、 府中の大掾C幹軍と戦い、味方を勝利に導いたが本人は討死を遂げた。 2.秋田へ移る:通信が戦死して14年後、佐竹義宣は徳川家康により、突然秋田に 移封を命じられた。通信の子と言われる千代房は元服して道広を名乗る。 資料抜粋はこちら |
矢吹 | 14 |
5/15 | 現地研修「額田、瓜連(うりずら)、部垂(へたれ)の城跡」 参加費 1,000円 (昼食代別) <主な研修先> ・額田城跡 、一乗院、常福寺、瓜連城跡、大宮史料館、部垂城跡 ・辰ノ口堰、親水公園、展望台 (詳細は現地研修記録(写真)へ) |
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4/17 | 総会、講話「江戸期の砂沢村」−江戸初期より明治初期頃まで− <講話要旨> T.砂沢村の概況(下記項目に関し、記録に残る人物名を挙げて解説) 1.砂沢村の領主 @ 領主(慶長年(1602)頃より、A 地頭(@. 正保元年 (1644)の 知行割、A. 幕末の知行割) 2.砂沢の村役人 @ 江戸時代の村役人、A 砂沢の村役人(1641〜1868)、B 山横目 ・・・中間支配者 3.砂沢の土地利用(明治初期の頃) U.砂沢村幕末の動き 1.天狗諸生の乱−助川の戦い @ 戦いの経緯・・・元治元年(1864)、 A 砂沢村民の 動きと褒賞、B その他の褒賞 資料抜粋はこちら |
橘 | 21 |