平成24年度活動記録 |
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期日 |
研修内容 |
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出席 |
2/19 |
1.1 講話1 「茨城の史跡は語る」 金谷
茨城新聞社編の表記書籍のうち 「水戸周辺の史跡」から18か所(弘道館、藥医門、
水戸東照宮、偕楽園等)を選んで史跡の特徴や歴史的価値について紹介した。
(例)弘道館:水戸藩の藩校、第9代藩主徳川斉昭が創設。当時の藩校として国内最大
規模のもので、武芸一般から医学、薬学、天文学、蘭学など広範囲に及ぶ。
1.2 講話2 「郷土探訪 豊浦の産業(大正期)」 辻
「豊浦の歴史」をベースに、沃度(ヨード)の生産について解説があった。具体的には,
①ヨードについて ②搗布(かじめ)について ③粗製ヨードの作り方 ④かじめの水揚げ
風景 ⑤かじめ舟と道具について ⑥ヨード工場 ⑦かじめ刈り時期と磯 ⑧ヨ^ド生産の
状況
<説明されたデータ(一部)>
かじめ採取量:一隻あたり400貫(1,500kg)~500貫(1,850kg)乾燥して25%にする。
500貫のかじめから、50貫の灰が取れる。それを1カマス10貫位入れる。
1カマス……1円(現在の価値で1万円?)
明治38年豊浦町事蹟簿に、ヨード製造戸数6、数量6,000封土、価格18,000円
かじめ販売数量300,000貫、価格12,000円とある。
2.役員会:4/10-11 実施予定の現地研修について
① 山梨現地研修の行程について川合氏から説明し了解を得る。
3月定例会時、参加者全員に集合時間、場所など旅行研修内容を配布する。
② 3月定例会は小林会長が講師で、武田氏に関する講話(大平氏講話なし)
③ 3/16 総会を行う。
抜粋資料はこちら |
金谷
辻 |
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H25/
1/19 |
1.講話 「横手{カマクラ}のルーツを探る」
<講話要旨>
1)本題前に橘先生から昭和35年頃の6号国道を写した写真展(日立郷土博物館
で展示中)の中から川尻・折笠付近を撮った写真数点の紹介があり、当時を
懐かしんだ。
2)横手のカマクラ
① 雪を固めてかまど形の室を作り祭壇を設け水神様を祀りカマクラと言った。
五穀豊穣、家内安全等諸願を祈る。中で子供たちが甘酒など飲んで遊んだ。
② 語源は諸説あるが「カミクラ(神坐)」の転化と考えられる。
3)鳥追い行事
① 小正月伝統行事でもある鳥追い(悪鳥や獣を追っ払う儀式)、農耕民族の祀
りで各地に伝わっているが常陸から佐竹氏が鳥追いの行事を秋田に持って
行ったとも言われている。
② 鳥追い行事後一晩過ぎると「どんど焼き」で正月飾りなどを焼く風習がある
③ 各地に伝わる鳥追い「はやし言葉」の紹介あり。又七草粥に関する説明も
あり。
2.役員会実施(小林会長他8名出席)
① 平成25年度総会は3/16(土)に行う。
② 春の現地一泊研修会は
・行先:山梨県武田信玄関連史跡巡りとする。
・日程:4/10(水)~11(木)一泊二日とする。
・次回2月定例会時に参加者募集する(目標25名)
③ 秋の現地日帰り研修会は
・行先:白河小峰城、白河の関所跡ほか
・日程:10月中旬予定
文・写真:川合康雄氏纏め
抜粋資料はこちら |
橘 |
17 |
12/8 |
1.講話
<講話要旨> 下記2点膨大な資料に基づく講話
1.1 蠺養神社の棟札(等)から神社の沿革を考察する
蠺養神社が所有する9枚の棟札(これ以外にも存在する可能性ある由)に
ついて、資料と映像(写真)により解説。
(例)奉再興沖津大明神津(1264年), 奉再興津之大明神海上安全郷中五穀成就
之処(1679年), 奉勤請櫻木大明神疱瘡守護処(1796年), 鎮守於岐津説太神
(1801年), 於岐津説神社(1805年), 養蠺神社・津神社正遷宮(1879年),……
1.2 常陸太田市に史跡誕生---佐竹(岡部)重綱と岡部館
岡部館は佐竹氏第五代義重の四男重綱により1250年ころ築館。講話は
三百余年に亘る泉田郷岡部城での支配、その後の常陸での大久保岡部氏
(重忠と重政)、大沼岡部氏(重春)等岡部氏の累代列祖の事績について解説。
(株)岡部工務店の岡部英男氏は岡部重春の後胤という。
2.忘年会
定例会の後、恒例となった忘年会が「千歳寿司」にて行われた。
定例会(含む抜粋資料)及び忘年会の情景はこちら |
橋本 |
25
(忘年会)
25 |
11/17 |
1.講話
<講話要旨> 折笠浜の史跡探訪・・・現地研修の予定であったが、雨天のため
豊浦交流センタにて、資料と写真,動画(プロジェクター)により解説
川尻、折笠浜には見るべき史跡が多い。それらの史跡を訪ね歩く予定であった
が、生憎雨天となったので、坂本先生がビデオに収録された動画等により説明を
して頂いた。なお 来春 改めて現地を探訪することになった。
「主な史跡」
(1) 大東屋敷跡:①笠村歴代庄屋 ②大東とは ③大津淳一郎生家 ④邸宅図
(2) 御番山の割り山:①新道着工時 ②石塔の移転
(3) 三峰神社跡:①昔の神社跡 ②祭礼
(4) 黒船見張り台跡と番所跡:①見張り台 ②平地面の番所跡 ③見晴らしの状況
(5) 岩城相馬街道跡:①一里塚跡か ②昔の道筋 ③茶屋、宿屋跡か
(6) 瑞相殿:蓮光寺の別殿 ②石像群 ③富士神社 ④山の神
等12か所の史跡について解説して頂いた。(添付講和テキスト1参照)
2.その他:今月より安倍克人さん(川尻町)が当クラブに入会された。(会員30名
となる)
抜粋資料はこちら |
坂本 |
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10/19
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筑西・下妻現地研修 参加費 3,500円
<主な研修先>
1.内外大神宮 :内宮・外宮両本殿。小栗城跡(望遠)。
2.下館藩主墓と中館観音 :伊佐城。伊達朝宗の墓。中館観音。
3.千妙寺(筑西市指定有形文化財) :総本堂、入母屋、銅瓦棒葺の建物
4.関城址 :坑道跡、大土塁、空濠
5.板谷波山記念館:作品、遺品、文化勲章、木造瓦平屋建の生家、三方焚口倒焔式丸窯
6.下館城址 :水谷氏の居城
7.新治廃寺跡 :金堂、東塔、西塔
詳細は現地研修記録(写真)へ |
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9/15 |
1.講話
<講話要旨> 資料と写真(プロジェクター)により解説
1.1 川尻蠺養神社の縁起について
(1)常陸国には日本養蚕の始めと称する神社が三社あり(筑波、神栖、川尻)。
三社いずれにも伝説があり定説はないが、國井氏は川尻蠺養神社元祖説が
有力と考えておられるよう。(纏め者の推測)
(2) 津明神・・・「江戸時代初期の日立地方神社一覧」に、川尻村の神社七社の
一つとしてある。
(3) 於岐都説神社・・・危険な岩礁である神磯が「於岐都説大明神」であるという
説。この神を祀ることで漁民の安全を守る。なお神社の名称には不明点が
多い由。
(4) 蠺養神社・・・蠺養神社の名称は明治34年からとされるが、改称以前から
使われれいて、養蚕の神として信仰があったと思われる。また川尻蠺養神社
からの分霊は、栃木県西那須野町三区長の他群馬県にも見られる。
(5) 蠺養神社と金色姫伝説・・・蠺養の神への信仰が高まってきた背景には
金色姫の伝説と養蚕業の発達がかかわっていると思われる。そこで、金色
姫物語の経過について解説があった。
1.2 日立市の絵馬概説
(1) 絵馬・奉納額の分布状況と奉納された年代・・・日立市郷土博物館「日立の
絵馬調査会」の調査によれば、日立市内の社寺で確認された絵馬や文字額
の総数は353点に及ぶという。
確認された353点の絵馬・奉納額等の奉納年代をみると、近世(11点:3.1%)
明治期(53点:15%)、大正期(26点:7.4%)、昭和期(80点:22.7%)、平成
期(12点:3.4%)
(2) 日立市内の特徴ある絵馬・奉納額・・・日立市内の絵馬・奉納額でまず目を
引くのは、川尻町に鎮座する養蚕神社のものという。日本最初の蚕養の祖神
として、県内はもちろん福島、栃木、長野の養蚕農家からも信仰された由。
2.役員会:10/19 実施予定の現地研修について
(1) 10月の現地研修は近隣の筑西市及び下妻市を探訪する。
(2) 探訪予定地
新治郡郡衙跡・新治廃寺跡、内外大神宮(小栗城跡)、伊佐城(中館観音
他)、千妙寺、関城跡、大宝城跡、大宝八幡宮、下妻ふるさと博物館等
抜粋資料はこちら |
國井 |
14 |
8/23 |
納涼会
全国的に猛暑日が続く中、川尻も30度を越える真夏日。納涼会のビールは格別
な美味。夕刻5時開始で 談笑も弾みお開きは8時30分。矢吹先生執筆の「不忘の
記」:臨場感溢れる日立の艦砲射撃の情景を表した書の話題でスタート。
(後日回し読み)
会費 男性4,000円,女性3,500円
納涼会の情景はこちら |
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23 |
7/21 |
<講話要旨> 昨年6月の講話に続き、同題での講話
「豊浦小学校のむかしのお話し」(関連資料2)
1) 前回同様、豊浦小学校3年生の教材を使って、全員輪番制で輪読
2) 関連資料により詳細の説明
① 小学校の修業年限と組合高等小学校
・明治5年発令の「学制」・・・我が国の近代教育が発足、但し就学率は極めて
低調<川尻小学校> 明治10年代:十数%、明治30年前後:50%程度
・講話は教育令の時代、小学校令の時代、尋常科(義務教育)の拡充へと続く。
② 明治時代の入学・卒業の時期について
・明治初期の入学:川尻の養正舎をはじめ、全国的に常時入学できた。
・入学・卒業の画一化:明治25年施行の新小学校令により、学校の学年は国
家及び自治体の予算執行に合わせて4月1日から翌年3月31日までと改めら
れた。
③ 参考資料「義務教育」の概念について
・被仰出書(おうせいだされしょ)、小学校令、義務教育の拡充等について
・現在の義務教育:
日本国憲法、教育基本法、学校教育法により、教育を受ける権利、普通教育
を受けさせる義務につき解説。
抜粋資料はこちら |
矢吹 |
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6/16
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地元現地研修 参加費 なし
<主な研修先>
1.折笠:花貫遺跡、折笠の庵、八幡平遺跡、弓弦石(矢筈石)、北野神社
2.砂沢:砂沢文教場跡、湯殿山碑、北野神社、阿弥陀堂
3.友部:友部城趾、艫神社、友部陣屋跡・稲荷塚古墳
4.伊師:赤見台古墳群・碁石浦、官道と藻島駅家跡
5.加幸沢横穴・石滝上台古墳群、藻島台古墳群
詳細は現地研修記録(写真)へ |
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5/19 |
1.講話
<講話要旨>
(1) じゅう殿神社について
近郊(日立,高萩,北茨城)における12社の「じゅう殿神社」について解説頂いた。
地図上で調べると、海辺にはなく 山部のみに存在していることが分かる。
じゅう(十,種,重,丞・・・いずれも たくさんという意味)、殿・・・えらいという意味)
(2) じゅう殿神社は16世紀頃までに作られ、農業神、穀物神等として崇められた。
(3) じゅう殿神社伝説について
・田尻:だあれも片目が小さくなった。小角豆,胡麻の栽培を忌み嫌う。
・秋山:榊と胡麻とを絶対に植えない。
・横川:胡麻、 大能、上君田、下君田:ササゲと胡麻を栽培しない。
(4)片目の神社伝説について
・長野南佐久郡川上村・松本市宮縁渕:藤の蔓に絡んで栗のイガで目を突い
た・・・藤も栗も育たない、植えても枯れる。
・小県郡浦理の神社:胡麻の茎で目を突いた・・・胡麻を作る事禁制、等々
2.役員会:6/16実施予定の現地研修について
(1) 6月の現地研修は地元:豊浦・十王地区を探訪する。
(2) 探訪候補地
折笠(折笠の庵,弓弦石等)、砂沢(岩間常清,二荒山神社等)、友部(友部城
跡,艫神社等)、伊師(赤見台古墳群,官道と藻島駅家跡等)、 いぶき台等
抜粋資料はこちら |
橘 |
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4/26
~27
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現地一泊研修「秋田佐竹氏探訪」 参加費 24,000円
<主な研修先>
・横手城跡(横手公園) ・角館武家屋敷 ・刺巻湿原水ばしょう群生地 ・天徳寺
・久保田城跡(千秋公園)
詳細は現地研修記録(写真)へ |
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3/17 |
1.総会議事
① 平成23年度行事及び会計決算報告 ② 平成24年度行事計画
③ 会員異動と役員選出(本年度は非改選期)
注)4月に現地研修を実施する都合上,平成24年度の総会を3月に実施した。
2.1 講話1:辻
<講話要旨> 郷土の先人・・・歴史に人あり
① 日渡桃洞:常陸国多賀郡川尻村の生まれ。父の後を継ぎ家塾「麟趾堂」で門
下生数百人を教えた。水戸藩の天狗諸生の乱では、諸生党に味方したため
難を避け奥州白石に行き、その地で商いを営み巨利を得て明治10年に帰郷。
② 金成棗坪(そうへい):生家は祖父玄桂の時から医を業とし、幼少の頃より父玄
桂について医術を修めた。明治24年創立された多賀郡医会の会長を務め、
更に明治34年,36年の2期、郡会議員を務めた。
③ 柴田典常:1785年に生まれ、1859年享年75歳で病没。書家として、また川柳、
狂歌に親しむなど水府にて特に名が知られる。蚕養神社の龍王神碑がある。
辞世の句に 「呑みつぶし喰い潰しと思うなよ もう明日からは喰わないから」。
2.2 講話2 :大平
<講話要旨>
大平家に残る 大平保蔵氏の「諸魚買入控帳」(明治29年)について解読。
入船毎の漁獲量と買入れ金額の記録があり現在との比較ができて興味深い。
(例)10月25日、百弐拾五貫百文(432kg):拾九円四拾九銭九厘(約195,000円)
3. 4/26-27 実施予定の現地研修について
(1) 「秋田久保田城他」現地研修について説明 :小林、川合
(2) 「新日本紀行-角館-」をDVDで紹介 :橋本
抜粋資料はこちら |
辻、
大平 |
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