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■小屋の歴史 | |||||||||||||||
![]() 共楽館は実に多様な利用がなされていた。大歌舞伎、小芝居、素人演芸にはじまり映画、講演会、演奏会、展示会場、納涼会場、大相撲の地方巡業の会場等々あらゆる催し物が行われたマルチホールである。昭和16年の十五世市村羽左衛門、翌17年には六代目尾上菊五郎の来演、NHK の素人のど自慢や懐かしのメロディー。学校教育との関わりの中から昭和3年に生まれた「日立児童映画教育会」は、企業の枠を超えた児童の情操教育の核となり、共楽館は日立の文化発信基地としての役割を担っていた。 戦後の映画全盛期を過ぎると、共楽館の利用頻度が極端に落ち、ついに昭和42年に共楽館は日立市へ寄贈。舞台や桟敷が撤去されて「武道館」へと変身した。平成5年に「共楽館を考える集い」が発足し、共楽館の活用・復元に向けての活動が始まった。永六輔講演会、活動大写真上映会( 弁士澤登翠)、マルセ太郎の形態模写、講談( 宝井琴梅・琴桜) やさまざまなコンサートなどを行った。法人事業として平成11年に樹設計事務所が屋根裏を中心に建築調査を行い、さらに平成15年には千葉大学工学部福川研究室と町並み保存連盟の合同調査を行った。その結果、雨漏りや老朽化の実態が明らかになり、修復をめざす募金活動を展開し、市民の浄財を行政に託した。 日立市は平成17年度の耐震構造調査に続き、平成18年度には教育委員会において共楽館補修設計に伴う意見交換会を行い、市民各団体の意見を聴いた。これと同時に共楽館の雨漏り対策や修復を勘案した設計を行ったが、平成19年度は未だ修復に着手していない。 |
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■今後の課題 | |||||||||||||||
共楽館は日立市教育委員会の体育施設「武道館」として管理・使用されている。共楽館を考える集いは芝居小屋としての復権を掲げて平成5年から文化的活用を展開してきた。平成8年度に共楽館の復原を求める書名運動を展開し、1万人を超す署名を集めて市長に提出。その結果、平成9年度の日立市の基本構想・基本計画に「武道館の建設検討」「歴史的産業遺産である共楽館の文化的利用の検討」という項目が掲げられたが、バブル経済の破綻により事業の推進は頓挫した。平成13年度からの基本計画では「武道館の建設」の項目が抜け落ち、「産業遺産再発見事業」「共楽館活用の検討」が掲げられ産業遺産によるまちおこしが明記された。現在、共楽館は「日立武道館」であり、文化的活用は共楽館を考える集いが行う各種の事業のみである。 共楽館の管理は、現在「武道館」であるため日立市教育委員会スポーツ振興課が担当し、管理は日立市体育協会に委託され、管理人は1年契約で日立市シルバー人材センターから派遣されている。市の施設で文化財である共楽館は、市の直接管理下に置かれていない。共楽館の歴史的、産業的、社会的価値から云っても「文化財管理」へ移行する時期を迎えている。 平成14年7月24日午後10時すぎに放火とおぼしき火災により、共楽館の元楽屋に付属する便所と風呂場の一部が焼けるという事態が発生した。夜間は警備会社に委託し、管理人は置かれていない。火災発生箇所は建物の死角とも言うべき箇所であり、発見が遅れれば大事に至る所であった。また建物の老朽化がすすみ、年々雨漏りの状況が激しさを増している。共楽館を考える集いは平成11年度に地元建築士と建築家による建築調査、同15年度には全国町並み保存連盟・千葉大学による雨漏りの実態調査を行った。その結果、屋根裏には雨漏りの痕跡が広範囲にわたっており、妻狐格子ザラリからの雨の吹き込み、屋根の鉄板に隙間が空いていることによる雨水の浸透が構造物全体への被害を大きくしている。また樋の腐食・破損による外壁や土台への被害も大きいことがわかった。行政と市民がともに共楽館をどのような形で保存・活用していくのかを明らかにする必要がある。防災・修理・活用に関する具体的な施策が課題である。 共楽館は日立市の近代化をすすめた産業遺産であり、文化遺産である。日立市の新たなまちづくりは「産業遺産」を活用することにある。その核となるのが共楽館である。日立鉱山の煙害克服のための企業と市民の軌道についてカナダのウィルケニング教授の「世界の企業は日立鉱山に学ぶべきである」という提言は、企業と市民そして行政が一体となって行う「まちづくり」の原点である。緑の谷間に点在する産業遺産に再び光を与え、産業都市日立の新たなまちづくりがはじまる。 |