日立の歴史教師 「共楽館」
冷たい雨が降りしきる平成10年4月、日立市に赴任し、常磐道日立中央インターチェンジを下りて目に入つた赤い屋根の人きな建物が、しばらく気になった。寺の本堂だろうか、それと大きな仏が鎮座している大仏殿だろうか、と勝手に超像していた。それが「共楽館」と知ったのは、「共楽館を考える集い」のメンバーが、催し物の資料を手にして記者クラグを訪れた時だった。
すぐにその建物を見に走った。その木造の巨大なたたずまいにびっくりし、まだ、漂う芝居小屋の余韻に甘美な酔いを座じた。芝居や映画の看板が立ち並び、木戸をくぐる人たちの姿が目に浮かんでくる。「これは大変な遺産だ」と、これまた勝手に思いこんでしまった。
それが「勝手」ではなく、実際に「大変な遺産」であることを「登録文化財」になったことで納得した。
そして、日立市北西部の山間地に日立鉱山があり、この芝居小屋周辺にはたくさんの人たちが暮らしていたこと、やがて、この鉱山をルーツに日立製作所が生まれ、それを核に今の日立市がそだったことなど、共楽館が、日立市の歴史をひも解いてくれた。これを幹に、鉱山や日立製作所、日立市の行政、経済、文化に携わった人や動きなどを明快にたぐり寄せてくれた。まるで歴史の教師かのようだ。
今回、出版された「史料集 共楽館」は、これまでの理解に、さらに厚みを加えてくれた。とりわけ、共楽館で働いていた人や、共楽館の催しを「母の懐」のように楽しんだ人など、二十五人からの「聞きがたり」は、静止画が動きだしたかのように躍助感を与えてくれた。また、芝居小屋のにぎわいが続いているかのような錯覚に陥り、見たことないはずの鉱山の人たちの生活が浮かんできた。
日立市の「オペラの街づくり」の着想は、日立シビックセンター前の石畳の広場から生まれたという。「共楽館を考える集い」も、共楽館が日立の街づくりの要素と魅力を充分、持ち備えていることを見抜き、芝居がたりや、落語、講談、生演奏など、ユ二ークな興業を次々と打つている。永六輔さんも、共楽館での講演で「この老いた建物を大切にする日立の人は、お年寄りを大切にするやさしい心の持ち主」とほめたたえ、共楽館への夢を語ったと聞いている。
建築ウオッチャーとして知られる東京大学生産技術研究所の藤森照信教授は、この史料集に共著の形で寄稿し、「共楽館はよく保存されている。しかも現存する芝居小屋でほ最大級」と賛辞を送っている。しかし、「肝心の舞台と客席が失われているのが残念だ」と悔やみ、「芝居小屋として再登場する日が待ち遠い」と結んでいる。
この史料集は、共楽館の余生に、新しい活力を吹き込むに違いない。
読売新聞日立支局 川本 晴男氏 寄稿より転載しました。