『インターネットの岩手山』

                                 ≪2002/9/4 第一稿≫
                                 ≪2002/9/7 第二稿≫
                                 ≪2002/9/8 第三稿≫
                                 ≪2002/9/10 第二稿≫
                                 ≪2002/9/11 最終稿≫
村野井 徹夫
1964年3月の撮影だと思う。だが、確信は持てないため写真は「街 もりおか」に送らなかった。岩手公園の二の丸から岩手山は全部見えた。4枚写して切り継ぎした。この右端のところに啄木の歌碑がある。

スキャンし直してみた(2011/03/01)  クリック→拡大

 盛岡を離れて42年、私が育った盛岡は、市内のどこからでも岩手山を見ることが出来た。岩手山の全景を見るとなると市内
どこでも見られるわけではなかったかもしれないけれど、ちょっと小高い場所では見ることが出来た。そして私は岩手公園か
らも、上田の堤(高松の池)からも、どこに行っても岩手山の見える場所に座っていた。櫻城小学校の気象観測のときは今日
は岩手山の中腹に雲がかかっているから「雲高千メートル」などと記録した。平地でも上田中学校の校庭の向こうは医大グラ
ウンド、さらにその向こうは田圃なので、岩手山をさえぎるものは何もなかった。ところが、最近の盛岡では岩手山を見よう
とすると相当の努力が必要である。私は帰省する時はホテルの予約のメールには「岩手山の良く見える部屋」と指定している。
この夏もそうやって泊まったのだが、建設中のマンションの鉄骨で左半分が隠されてしまっていた。
 昭和30年頃までは高い建物と言えば学校か病院くらいのものだったのではないだろうか。ということは、啄木の頃とさほど
違ってはいなかったに違いない。
  不來方のお城の草に寝ころびて
  空に吸はれし
  十五の心
 この金田一京助博士の筆の啄木の歌碑が岩手公園に建てられたときは、そこから岩手山の全貌が見渡せたものだ。それが何
年かして岩手教育会館で目隠しをしてしまい、貴重な観光資源が失われてしまった。その後高度経済成長の時代と共にビルが
林立するようになって今では岩手公園では岩手山のかけらしか見ることが出来ない。
 郷里を離れて42年以上も経つと、郷里の風土・景色や盛岡のニュースにはいつも飢えている。テレビに盛岡、ましてや岩手
山が映ったりするとその日一日得した気分である。近頃では岩手日報のホームページにアクセスしては郷里の日々のニュース
は大抵知ることが出来る。
 盛岡の山の景色といえばやはり岩手山と姫神山。私はインターネットで岩手山の映像を検索して最初に見つけたのは盛岡中
央ロータリークラブのホームページのであった。これは岩手山の方向に向けたカメラによる一時間(最近では30分)毎の過去
24時間の映像を見せてくれる。また、ベストショットと称して96年以来約三年間のその時々の岩手山の素晴らしい映像を約50
枚見ることが出来る。これを見つけたときは興奮して郷里を離れている友人何人にも教えた。毎日その映像を開いてみては、
今日の盛岡は「晴天だ」とか「曇りかァ」などと思ってみていた。この映像は岩手大学のどこかの研究室で運用しているらし
い。
 岩手大学の別の研究室で運用している映像は一分または三分毎のスチル写真である。このサイトは、過去の記録を探すのは
初めはちょっと難しい。またわずかながら姫神山の映像もある。ここは近赤外線や熱赤外線の映像もあったりして何か学術的
な匂いがする。学術的といえば、岩手めんこいテレビの画像は国土交通省東北地方整備局岩手工事事務所から配信されている
岩手山の監視カメラの映像である。これは99年の岩手山の活動による臨時火山情報を機会に松尾村と雫石町に設けられたカメ
ラの映像であるので、岩手山の景色を楽しむような映像ではない。
 景色を楽しむならば『盛岡景観』が一番であった。「であった」というのはこのところこのサイトは見られないからである。
これは盛岡のIT関連の企業が設けたものらしいが、ここのカメラは岩山の頂上にあって岩手山だけでなく、盛岡市内の全貌
が見渡せるのである。私はここの画像によって、多くの盛岡市民よりも早く盛岡の初雪を知ったこともあった。また、近くの
林も写っているので樹が色づいてきたなとか、この枝も大分伸びた、今年の雪は去年よりも多いみたいだ、等々、季節の移ろ
いなどもいながらにして味わうことが出来た。ただ、屋外に設置された遠隔操作のカメラのせいかよく故障を起こしていた。
昨冬も故障しては『ただいまメンテナンス中』という字幕と俯瞰図の画像が映っていた。きっと雪深くて手間取っているのだ
ろうなと思っていたが、最近では何も映らなくなった。一企業でこのようなサイトを運用するのは厳しいのかもしれない。私
のパソコンの壁紙はこのサイトの岩手山の映像である。その映像を見ながら他郷に住む者に居ながらにして盛岡の匂いを届け
てくれるこのサイトの復活を願っている。

                                           (茨城大学工学部教授)
         

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